前回のコラムでは、「アウディは乗り手を選ぶ......」と締めくくりました。なので、今回のタイトルは「私にも似合うディ」(汗)。
生方編集長のリクエストでもありますし。 でも事実として、アウディは乗り手を選びます。いや、正確には乗り手がアウディに相応しい人に進化していく......でしょうか。
アウディ・ユーザーの購入動機を調べてみると、ほとんどの方が「デザイン性」に共感しているようです。ライバルたちと比べるとアウディのフォルムは、総じて美しい曲面と曲線で構築されています。前後左右どこから見ても破綻のないカタマリ感も、大きな魅力といえるでしょう。これは、あまりクルマに興味のない人でも、絵的センスの乏しい方でも「なんかいいな」と思えるカタチであるはずです。
そんなスタイリッシュなアウディに乗るときには、自然と服装にも気を遣うようになります。たとえクルマで数分のコンビニに買い物に行くときでも、下着同然の格好やビーサンでは少し憚られるということです。
持ち物にもこだわるようになりますね。アウディはみんなに見られています。
大通り沿いのパーキングメーターに縦列駐車したときも。大型ショッピングモールの巨大駐車場にとめるときも。「どんな人が降りてくるんだろう?」と、周囲の人は見ています。それは決して批判的な視線ではありません。なんといってもアウディですから「きっと素敵な人なんだろうな」。少なからずそんな期待があるはずです。
なので、ウェアだけではなく持ち物にも油断はできないのです。高価なものを身につけている、という意味ではありません。アウディに相応しい、華美ではないけれど上質な、自分のライフスタイルに合った「よいもの」を持つようになることでしょう。
業界の先輩Tさんは、この20数年で10台以上のアウディを乗り継いでいます。ほとんどアウディ・パラノイアと呼んでも差し支えない方です。
Tさんはモータースポーツにも深く関わっているので、つねに時代の最先端テクノロジーに接しています。そして、アウディを所有することでそのテクノロジーを知り尽くした結果、原点回帰を始めました。つまり「旧き良きもの」を身の回りに置くことに情熱を注ぎ始めたのです。たとえばクワトロのことを知るにしたがい、クワトロとより深い関係になりたいと思うわけです。変な意味ではありません。
ということで、現在の愛車は1985年式アウディ・クワトロです。そう、「ビッグクワトロ」の愛称で語り継がれる名車です。おそらく日本ではトップに位置づけられるぐらいの素晴らしいコンディションを維持しています。先日、アウディAGから来日された方がこのビッグクワトロを見た際、しばらく絶句したあとドイツ語で「ワンダフル!」といっていました。
で、このTさん、じつにビッグクワトロが似合うのです、お世辞じゃなく。なんでこんなに似合うんだろう......と、あるとき考えてみました。到達した結論は、アウディを知り尽くしているからなんだな、です。つまり、ビッグクワトロがまるで着慣れたジャケットのような......、いつも履いているお気に入りの靴のような......そんな存在となっているからなのです。
決してクルマに乗せられているわけはなく、宝物のように磨き上げることもなく日常使いをしている。そんな関係を築いているのです。いくらコンディションがいいといっても、今から30年近くも前に生まれたクルマです。毎日の足にするにはリスクが大きいはずですが、Tさんはまるで新車のA5クーペと同じように扱います。こんな愛車とのつきあい方、とても素敵ですよね。
貧乏性で気の小さい私が、もしビッグクワトロを手に入れたとします。きっと、ガレージに大切に保管して、天気のいい日にだけチョロッと走らせてまた仕舞う。そんな程度だと思います。
アウディが「私にも似合うディ」になる日は、いつのことでしょうか。
(Text by Satoshi Kikutani)
生方編集長のリクエストでもありますし。 でも事実として、アウディは乗り手を選びます。いや、正確には乗り手がアウディに相応しい人に進化していく......でしょうか。
アウディ・ユーザーの購入動機を調べてみると、ほとんどの方が「デザイン性」に共感しているようです。ライバルたちと比べるとアウディのフォルムは、総じて美しい曲面と曲線で構築されています。前後左右どこから見ても破綻のないカタマリ感も、大きな魅力といえるでしょう。これは、あまりクルマに興味のない人でも、絵的センスの乏しい方でも「なんかいいな」と思えるカタチであるはずです。
そんなスタイリッシュなアウディに乗るときには、自然と服装にも気を遣うようになります。たとえクルマで数分のコンビニに買い物に行くときでも、下着同然の格好やビーサンでは少し憚られるということです。
持ち物にもこだわるようになりますね。アウディはみんなに見られています。
大通り沿いのパーキングメーターに縦列駐車したときも。大型ショッピングモールの巨大駐車場にとめるときも。「どんな人が降りてくるんだろう?」と、周囲の人は見ています。それは決して批判的な視線ではありません。なんといってもアウディですから「きっと素敵な人なんだろうな」。少なからずそんな期待があるはずです。
なので、ウェアだけではなく持ち物にも油断はできないのです。高価なものを身につけている、という意味ではありません。アウディに相応しい、華美ではないけれど上質な、自分のライフスタイルに合った「よいもの」を持つようになることでしょう。
業界の先輩Tさんは、この20数年で10台以上のアウディを乗り継いでいます。ほとんどアウディ・パラノイアと呼んでも差し支えない方です。
Tさんはモータースポーツにも深く関わっているので、つねに時代の最先端テクノロジーに接しています。そして、アウディを所有することでそのテクノロジーを知り尽くした結果、原点回帰を始めました。つまり「旧き良きもの」を身の回りに置くことに情熱を注ぎ始めたのです。たとえばクワトロのことを知るにしたがい、クワトロとより深い関係になりたいと思うわけです。変な意味ではありません。
ということで、現在の愛車は1985年式アウディ・クワトロです。そう、「ビッグクワトロ」の愛称で語り継がれる名車です。おそらく日本ではトップに位置づけられるぐらいの素晴らしいコンディションを維持しています。先日、アウディAGから来日された方がこのビッグクワトロを見た際、しばらく絶句したあとドイツ語で「ワンダフル!」といっていました。
で、このTさん、じつにビッグクワトロが似合うのです、お世辞じゃなく。なんでこんなに似合うんだろう......と、あるとき考えてみました。到達した結論は、アウディを知り尽くしているからなんだな、です。つまり、ビッグクワトロがまるで着慣れたジャケットのような......、いつも履いているお気に入りの靴のような......そんな存在となっているからなのです。
決してクルマに乗せられているわけはなく、宝物のように磨き上げることもなく日常使いをしている。そんな関係を築いているのです。いくらコンディションがいいといっても、今から30年近くも前に生まれたクルマです。毎日の足にするにはリスクが大きいはずですが、Tさんはまるで新車のA5クーペと同じように扱います。こんな愛車とのつきあい方、とても素敵ですよね。
貧乏性で気の小さい私が、もしビッグクワトロを手に入れたとします。きっと、ガレージに大切に保管して、天気のいい日にだけチョロッと走らせてまた仕舞う。そんな程度だと思います。
アウディが「私にも似合うディ」になる日は、いつのことでしょうか。
(Text by Satoshi Kikutani)