今年の"Volkswagen GTI Cup Japan"シリーズの休止が発表された。2000年からスタートしたフォルクスワーゲン車によるNゼロ/ワンメイク・レースは、12年間の歴史を刻んで幕を閉じた。が、このレースが開催された意義は少なくなく、一時代を画したことは確かだ。
■ VWのワンメイクが与えた多大なる影響
ご存知のように、このレースは2000年に始まったナンバー付車両によるワンメイク、Nゼロ規定に基づくレースのひとつだった。
ご存知のように、このレースは2000年に始まったナンバー付車両によるワンメイク、Nゼロ規定に基づくレースのひとつだった。
この年、トヨタは、ネッツカップとしてヴィッツレースとアルテッツァレースを開催し、ヴィッツレースをモータースポーツ初心者向けのナンバー付車両のワンメイクとした。これが、Nゼロ・レースの最初とされるが、実はこの2000年、輸入車初のNゼロ規定レースであるニュービートルカップ(正確には、フォルクスワーゲン・トロフィ・レ-ス)も開催されているため、どちらが先とはいえない。
ただ、このNゼロ規定レースの先駆けとなったレースが、フォルクスワーゲン車によるものだったことは確かだ。'09年7月の本コラム
バブル崩壊後の失われた10年の最中、モータースポーツ人口の現象に歯止めをかけようとし、かかるコストの低減を目指したNゼロ規定ワンメイクレースは、大いに好評を博し、様々なレースが行なわれるようになった。フォルクスワーゲンに関していえば、'03~'04年にLUPO GTI Cup、'05~'07年にGOLFの5のGTI Cup、'08~'09年にLUPO GTI Cup CarとGOLFの5のGTI Cup Carの混走レース、'10~'11年にGOLFの5と6のGTIの混走レースが行なわれてきた。こうして続いてはきたものの、好転の兆しを見せない経済下、モータースポーツ人口の減少もあって、参加台数は次第に減っていった。
2000年に、輸入車による初めてのワンメイクとして開催されたニュービートルのレースは、それはもう華やかなものだった。それまでのエントリーレベルのレースといえば、食事をする場所にも事欠く有様の、貧しい環境。ところが、ニュービートルカップでは、ヨーロッパのビッグレースのようにホスピタリティテントが用意され、そこでドリンクサービス、さらにはケータリングの温かい食事も提供された。輸入車のレースらしい、少しスノビッシュな、優雅な雰囲気が演出されていた。
それまでなかったことだけに、驚きを持って迎えられ、大いに注目された。このように、エントラントやその周囲を楽しませる環境作りという面において、フォルクスワーゲンのワンメイクが、日本のモータースポーツ界に与えた影響はとても大きいと思われる。
それまでなかったことだけに、驚きを持って迎えられ、大いに注目された。このように、エントラントやその周囲を楽しませる環境作りという面において、フォルクスワーゲンのワンメイクが、日本のモータースポーツ界に与えた影響はとても大きいと思われる。
■ もうナンバー付ではムリ
フォルクスワーゲンのNゼロ規定レースが難しくなった理由のひとつに、クルマ自体がモータースポーツ向きではなくなったことも挙げられる。ご存知のように、ゴルフ6のGTIは、さらに電子制御の高度化が進み、いわば自己防衛本能が強化された。DSGは油温が上昇して危険域に達するとすると、ギアチェンジをしなくなり、エンジンもなにか問題を起こしそうになれば、高回転域を避けるようになる。ごく普通に、一般的に使われるクルマとしては、クルマ自体がほぼ完璧というサポート体制をとる。が、これがレースでは仇となる。
典型的な例は、電子制御式ディファレンシャルロックのXDS。コーナリングで左右輪の回転差を感知すると、内輪のほうにわずかにブレーキをかけ、アンダーステアを軽減してよりコーナリングを容易にするというこのプログラムは、サーキット走行という場面においては、結果的に激しいフェードを起こすというデメリットになってしまった。緻密になった様々な安全装置が、逆に競技用マシンとしての資質を低くしてしまったといえるだろうか。もう市販車、ナンバー付車両でのレースにはムリがあるといえて、なんらかの新たな方向を探らなければならない状態にあったのだ。
リーマンショック以来の経済低迷、重ねて東日本大震災の打撃もあって、GTI Cup Japanがなくなってしまうのは、やむを得ないといえるだろう。クルマ自体がその用途には向かなくなってしまったこともある。しかし、フォルクスワーゲンのファンとしては、なんらかの形での、フォルクスワーゲン車のサーキットイベントを望んでおきたい。たとえばサーキットトライアルの復活などを・・・。