
ところがAudiは乗用車にフルタイム4WD技術を用いることで、2WDではなし得なかったスポーティな走りを目指したのです。それを証明するためにAudiがWRC(世界ラリー選手権)にAudi quattroを投入し、成功を収めたことは皆さんもご存じでしょう。そのあたりの話はまた別の機会に譲るとして、まずはこのAudi quattroが誕生するまでの話から始めていきましょう。


1970年代なかばにAudiの技術開発担当取締役に就任したピエヒは、Audiをメルセデス・ベンツやBMWといったライバルと肩を並べるブランドにするために、圧倒的な技術力によってAudiのブランド力を高めることを考えていました。いいかえれば、Audiのスローガンである「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」を実践するということです。
そんなピエヒのもとに、技術者から4WD乗用車を開発したいという要望が寄せられました。1972年2月のことです。フィンランドでVWイルティスというオフロード車のウインターテストを担当したシャシー技術者、ヨルグ・ベンジンガーが、4WDの優位性に心打たれ、この技術をAudi車に導入することでAudiブランドの価値を高めたいとピエヒに訴えたのです。
これに対しピエヒは、単に乗用車に4WDを搭載するのではなく、モータースポーツでも公道でも圧倒的な走りをもたらすクルマの開発を望みました。そして、正式なゴーサインがないまま、フルタイム4WDを搭載したハイパワースポーツクーペ開発が秘密裏にスタートしたのです。
開発陣は、イルティスの駆動系とAudi 200用の5気筒ターボエンジンを、2ドアのAudi 80に搭載した試作車を仕立て上げテストを開始。そして、1977年9月にはAudi社内の承認を得て、正式なプロジェクトとなりました。さらに、量産化を念頭に開発が始まるわけですが、ここで問題になるのがフォルクスワーゲンの承認です。当時、Audiが量産車を世に送り出すには、フォルクスワーゲンの承認が必要だったのです。
当初、生産台数400台の特殊なスポーツモデルを開発するというプロジェクトが、そう易々とフォルクスワーゲンに認められないのではないかと考えた開発陣は、その優位性を示すために、1978年1月にオーストリアのトラッハー峠で行われたウインターテストにフォルクスワーゲンの取締役を招きました。そこで、フルタイム4WDの優位性を体験した取締役が他の役員を説得したことで、なんとかフォルクスワーゲンの承認が得られたといいます。
その後、フォルクスワーゲンの取締役のひとりが試作車を借りたところ、街中を運転した妻が駐車や小さなカーブを曲がるときに飛び跳ねるような動きをすると不満を述べました。実はこの試作車にはセンターデフがなく、常時、前輪と後輪が直結している状態だったために、"タイトコーナーブレーキング"という現象が起こっていたのです。そこで、この取締役は開発陣にセンターデフを組み込むよう指示し、プロジェクトの継続を認めました。
この技術的な変更に対応するのは容易いことではありませんでしたが、縦置きギアボックスの後端に配置したセンターデフを中空シャフトで駆動し、フロントには中空シャフトの中を通した別のシャフトで出力を伝えるという画期的なアイディアにより問題を解決したのです。これにより、コンパクトで効率の良いフルタイム4WDができあがりました。なお、当初のquattroにはセンターデフロックが搭載されていましたが、1986年秋にセンターデフをセルフロッキングディファレンシャルのトルセンデフに変更したことから、センターのデフロックは不要になりました。
その後は、1980年のデビューに向けて、最終プロトタイプによるテストが急ピッチで進められていきました。下の写真は前述のトラッハー峠に向かう最終プロトタイプです。

その実力の高さを示すこんなエピソードが残っています。著名なモータージャーナリストである"PF先生"ことポール・フレール氏が、急勾配の雪道を2台のFR車とFFのAudi 100、そして、プロトタイプのAudi quattroの4台で比較試乗する機会がありました。スノータイヤが装着されていたものの、Audi quattro以外の3台はすぐにスタック。ところがAudi quattroだけはコースを登り切り、PF先生は無事にスタート地点に戻ってきました。
するとAudiのエンジニアが「今度はスノータイヤで試していただけませんか?」と話したといいます。つまり、Audi quattroはサマータイヤで雪道を走破してしまったというわけです。
しかし、これはquattroの一面に過ぎませんでした。デビュー翌年の1981年から参戦したWRCで、スポーツカーの新時代を切り拓くことになったのです。
続く......
(Text by Satoshi Ubukata)