わが家があるイタリア中部シエナからクルマで約30kmの山中に河川敷温泉、つまり川湯がある。地名を「バーニョ・ディ・ペトリオーロ」(以下ペトリオーロ)という。
州内で有名な川湯には、もうひとつ「サトゥルニア」という温泉があって、たびたび日本のガイドブックでも紹介されてきた。ただし、日本人にはやや湯温が低い。
川湯に出没
ペトリオーロは、サトゥルニアと比較して、かなり規模が小さい。しかし湯温が体感で常に40℃以上あるので、筆者には、こちらのほうが心地よい。
イタリアに住みはじめて以来四半世紀、シャワーだけでバスタブがある家に住んだことがない身としては、好きなとき湯に浸かれるチャンスは大変ありがたい。そのうえ、一番湯が温かい吹き出し口付近は、いつも空いている。イタリアは熱い湯が苦手な人が多いためだ。
2021年夏のことである。現地を訪れると、1台の黄色い移動販売車が営業していた。
山中の店だから値段が高いのだろう、と恐る恐る立て掛けられた黒板式のメニューを見る。ところが、その場でスクイーズするフルーツジュースが3ユーロ(約390円)、地元産クラフトビールが4.5ユーロ(約580円)、クレープが3.5ユーロ(約450円)と、いずれも良心価格である。
まるで黄色いキノコかレモンを真っ二つに切ったような、そのトレーラー型移動販売車、どこかで見たことがある。そう思って考えてみたら、シエナのオフィス街であった。「そういえば、少し前から姿が見えない。もしや?」と思って、店の主に尋ねてみたら、案の定同じ人物だった。
夏の間、オフィス街はお客が少なくなるので、代わりに川湯付近で営業を開始していたのだ。
その名はニャーモ
ジュリオ君は1981年生まれ。かつてはピッツァ職人として働いていたが、5年前に独立を決意。移動販売車の主となったという。
トレーラーの製造元について彼は「アルバニアの会社だよ」と教えてくれた。筆者が補足すると、「MCP」という樹脂・複合素材を得意とする創業約25年のメーカーで、イタリアのトリノ県にも工場をもつ。乗用車用のアフターパーツなども手掛けてきたイタリア法人のサイトによると、ジュリオ君のトレーラーは「フローレンス」というモデルで、2014年から生産されている。
「搭載の12ボルト電源でルーフが上下するんだよ」と教えてくれた。ちなみにメーカーのカタログによれば、電動でないマニュアル型もあるらしい。
かつて欧州には、同様に移動時ルーフを下げてコンパクトになるキャンピングカーが存在した。車内の片付けが面倒だったことからブームに成り得なかったものの、なかなかのアイディアだった。フローレンスは、その商用版と考えればよい。
変わり型の樹脂ボディを載せた移動販売車は数々あれど、フローレンスは金属製フレームに載っかっているので、正式なトレーラーとして公道走行可能なところがミソである。
シンク、外部接続による電源アウトレット6個、LED照明、コインホルダーを備え、給水用・排水用のタンクは各25Lという。
ジュリオ君がトレーラーにつけた愛称は「ニャーモ(Gnamo)」。イタリア語で「さあ行くぞ」を意味する“アンディアーモ(andiamo)”のスラングである。
それはともかく、牽引用のクルマは、4代目「フォルクスワーゲン ポロ」だ。
次のポロは近い?
2002年登録の5ドア仕様だ。
「ピッツァ職人時代から乗ってたんだよ」
イタリアで当時から人気があったLPG/ガソリンの併用仕様だ。牽引用フックは、独立にあたって自分で取り付けたという。
家との距離は往復約50km。そこを車齢20年のポロは、最大積載量900kgのニャーモを引っぱって毎日走っている。
ポロに関してジュリオ君は、「信頼性が高く燃費が良いので、どんなに遠くてもどんな道でも、問題なく好きなところに行ける安心感だね」とメリットを語る。
そう話していたら、お客のひとりが「フォルクスワーゲンは丈夫。とりわけ、この時代のモデルは電子デバイスが少ないから、さらにトラブルフリーなんだ」と加わってきた。そしてジュリオ君は「次も必ずポロにするよ」と、自身の思いを語った。
ニャーモを観察していると、想像以上に人気が高い。従来、近隣にスタンディグ形式の気軽な飲食施設が皆無だったからからだ。昼どきだけでなく、午後遅くもお客さんがやってくる。イタリア人が習慣とするアペリティーヴォといわれる食前酒タイムのためである。
筆者が2021年最後にペトリオーロを訪れたのは晩秋だったが、「お客さんが続いているから、あともう少しこちらで頑張るよ」とジュリオ君は話していた。
筆者は、彼が街でふたたび営業する姿も撮影したかったのだが、本稿執筆時点である2021年12月末時点でも、まだ街に帰って来ない。どうやら、冬である今も川湯で引く手あまたのようだ。ジュリオ君の新たなストラテジーは当たった。
この勢いだと、彼のもとに新しいポロがやってくる日は、やや前倒しになるかもしれない。
(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)