2019年8月25日、フォルクスワーゲンの取締役会会長などを務めたフェルディナント・ピエヒが逝去した。82歳。
1937年にオーストリアで生まれたピエヒ(写真右)氏は、ビートルの生みの親であるフェルディナント・ポルシェ(写真中央)の孫にあたる。
1970年代なかばにアウディの技術開発担当取締役に就任したピエヒ氏は、アウディをメルセデス・ベンツやBMWといったライバルと肩を並べるブランドにするために、圧倒的な技術力によってアウディのブランド力を高めることを考えていた。
その彼の指揮のもと開発されたのが、アウディの象徴といえる「クワトロ」で、その後、アウディが大きく躍進したのはご存じのとおりだ。
そののち、ピエヒ氏はアウディの取締役会会長に就任。1993年にはアウディの親会社であるフォルクスワーゲンの取締役会会長になって、ベントレー、ランボルギーニ、ブガッティなどを傘下に収めた。
2000年のハノーバー万博にあわせて、フォルクスワーゲンの本社横に、クルマのテーマパークである「アウトシュタット」をつくり、クルマの街・ウォルフスブルグの発展にも力を貸している。
2002年からは、フォルクスワーゲンAGの監査役会会長を務めていたが、2015年、監査役会会長およびフォルクスワーゲン グループ内の監査役会メンバーとしてのすべての任務を辞任している。
20世紀を代表する自動車エンジニアのひとりであり、フォルクスワーゲン グループ発展の立役者であるピエヒ氏の死が惜しまれる。
(Text by Satoshi Ubukata)