Talk to Oneselfとは、文字通り、独り言の意。まあ、VW好きのオジサンがあーだこーだとよもやま話を、あるいはよた話をしているといった感じで、読んで欲しい。
オグラは幼稚園の頃からのクルマ好きだが、さすがに最初っからVWが好きだったわけではない。むしろ、遅咲き(?)で、ある自動車雑誌の編集部(某LV誌)に入って、編集の仕事をするうちに、自身の経済状態は別にして、輸入車が身近になってきてからのことだ。
もちろん、イメージはそれなりにあった。中学、高校と、真性の"カーグラ少年"で、大人になってもその基本的なところが変わらなかったオグラは、同誌のゴルフⅠ関連のリポートを読んで、Ⅰがきわめて合理的な小型経済車であることは理解していた。が、何度かⅠに乗るチャンスを得ると、ヤナセの広告がいうほどスゴイものとも思わなくなっていた。ノイズ、バイブレーションが少なくなく、乗り心地が小型車としてはそこそこではあっても、あまり快適なクルマとは感じられなかったのだ。ただ、全高の高さが全長の割には広い室内空間を生み出しているというあたりに、国産車にはない合理性を感じ取っていたと思う。いま思えば、ゴルフⅠといっても、新車に近いクルマではなく、それもオートマチック仕様であったことが、こういう評価なってしまった原因かもしれない。
よりゴルフを知るようになったのは、編集部に長期テストカーとしてゴルフⅡ(RV型)がやってきてからだ。当然、取材の足に頻繁に使うようになって、その実力のほどが分かるようになる。それはGLiのマニュアル仕様で、ただのSOHC、8バルブの1.8リッター、パワーも105psでしかないのにとてもよく走った。相変わらずエンジンは"縁の下の力持ち"で、その回転上昇にストーリー性はまったくなかったが、5速マニュアルのおかげもあってか、あるいは比較的軽いボディ重量ゆえか、目覚ましいとまではいえないものの、結構な加速を実現していた。一番感心したのは、操縦性。FFのくせして、キビキビした動きを見せ、ワインディングが楽しくてしょうがない。当時としてはボディ剛性が高く、フロント=ストラット、リア=トレーリングアームのサスペンションがシッカリ支持されていてたことも、このファンなドライビングを生む要因だったことは間違いない。このあたりから、オグラはゴルフに傾倒し始めたわけだ。
それでも、オグラの普段の足は、ゴルフではなかった。'91年8月には、ドイツで行なわれたゴルフⅢの発表試乗会を取材し、かなり洗練されことを知った。だから、'92年にⅢが日本に上陸するとすぐ、編集部には新たな長期テストカーとしてGLiを導入してもらった。そんあこともあり、自分で買う必要もなかったといえる。Ⅲはいいクルマだとは思っていても、輸入車としてはもうひとつ華がなく、これでなければというものがないように思われたし、いわゆる大衆車であって決してプレミアムではない。とまあ、色々理由はつけたが、実は経済的な問題。まだゴルフは自分の車として手頃ではなかった。
ようやく購入できたのは、Ⅲが日本導入となって数年後。中古車がそこそこ市場に出回るようになってからだ。ただ、ゴルフを選択した理由は、それほどピュアなものではない。それなりのプライドとか、見栄とか、加えてもちろん経済的な事情もあるという妥協の産物だった。早い話、輸入車の記事が大きなパーセンテージを占める某LV誌の編集部員としては、普段の足が国産車ではあったりすると、なんだかカッコ悪いと思ったのである。たとえば、取材先で相手の方に「いま、なににお乗りなんですか?」と聞かれたとする。国産車だと、たとえどんなモデルであったとしても、その名を告げると、「あ、そうですか」とつまらなそうな顔をされてしまう。しかし、「ゴルフです」なんてと応えると、「やっぱりね」というような感じで安心してもらえる。とりあえず輸入車で、それでいて、プレミアムのメルセデスやBMWほど偉そうではなく、親近感も持ってもらえる。「分かってるね」とも思ってもらえる。ここがポイントだった。
初めての我がゴルフは、5ドアのCLiオートマチック、サンルーフ付きだった。これがゴルフ道(?)に歩んでしまう入り口だった。
(続く)
もちろん、イメージはそれなりにあった。中学、高校と、真性の"カーグラ少年"で、大人になってもその基本的なところが変わらなかったオグラは、同誌のゴルフⅠ関連のリポートを読んで、Ⅰがきわめて合理的な小型経済車であることは理解していた。が、何度かⅠに乗るチャンスを得ると、ヤナセの広告がいうほどスゴイものとも思わなくなっていた。ノイズ、バイブレーションが少なくなく、乗り心地が小型車としてはそこそこではあっても、あまり快適なクルマとは感じられなかったのだ。ただ、全高の高さが全長の割には広い室内空間を生み出しているというあたりに、国産車にはない合理性を感じ取っていたと思う。いま思えば、ゴルフⅠといっても、新車に近いクルマではなく、それもオートマチック仕様であったことが、こういう評価なってしまった原因かもしれない。
よりゴルフを知るようになったのは、編集部に長期テストカーとしてゴルフⅡ(RV型)がやってきてからだ。当然、取材の足に頻繁に使うようになって、その実力のほどが分かるようになる。それはGLiのマニュアル仕様で、ただのSOHC、8バルブの1.8リッター、パワーも105psでしかないのにとてもよく走った。相変わらずエンジンは"縁の下の力持ち"で、その回転上昇にストーリー性はまったくなかったが、5速マニュアルのおかげもあってか、あるいは比較的軽いボディ重量ゆえか、目覚ましいとまではいえないものの、結構な加速を実現していた。一番感心したのは、操縦性。FFのくせして、キビキビした動きを見せ、ワインディングが楽しくてしょうがない。当時としてはボディ剛性が高く、フロント=ストラット、リア=トレーリングアームのサスペンションがシッカリ支持されていてたことも、このファンなドライビングを生む要因だったことは間違いない。このあたりから、オグラはゴルフに傾倒し始めたわけだ。
それでも、オグラの普段の足は、ゴルフではなかった。'91年8月には、ドイツで行なわれたゴルフⅢの発表試乗会を取材し、かなり洗練されことを知った。だから、'92年にⅢが日本に上陸するとすぐ、編集部には新たな長期テストカーとしてGLiを導入してもらった。そんあこともあり、自分で買う必要もなかったといえる。Ⅲはいいクルマだとは思っていても、輸入車としてはもうひとつ華がなく、これでなければというものがないように思われたし、いわゆる大衆車であって決してプレミアムではない。とまあ、色々理由はつけたが、実は経済的な問題。まだゴルフは自分の車として手頃ではなかった。
ようやく購入できたのは、Ⅲが日本導入となって数年後。中古車がそこそこ市場に出回るようになってからだ。ただ、ゴルフを選択した理由は、それほどピュアなものではない。それなりのプライドとか、見栄とか、加えてもちろん経済的な事情もあるという妥協の産物だった。早い話、輸入車の記事が大きなパーセンテージを占める某LV誌の編集部員としては、普段の足が国産車ではあったりすると、なんだかカッコ悪いと思ったのである。たとえば、取材先で相手の方に「いま、なににお乗りなんですか?」と聞かれたとする。国産車だと、たとえどんなモデルであったとしても、その名を告げると、「あ、そうですか」とつまらなそうな顔をされてしまう。しかし、「ゴルフです」なんてと応えると、「やっぱりね」というような感じで安心してもらえる。とりあえず輸入車で、それでいて、プレミアムのメルセデスやBMWほど偉そうではなく、親近感も持ってもらえる。「分かってるね」とも思ってもらえる。ここがポイントだった。
初めての我がゴルフは、5ドアのCLiオートマチック、サンルーフ付きだった。これがゴルフ道(?)に歩んでしまう入り口だった。
(続く)