100513ogu001.jpg5月9日、横浜の赤レンガ倉庫で開催された"ル・ボランCARS MEET 2010"は、楽しんでいただけただろうか。こう書くと、まるで主催者側のようだが、オグラは決してそうではない。会場設営やなんやかやをお手伝いした単なるボランティアだ。
まぁしかし、お手伝いしただけであっても、イベントに対する評価が気になるもので、その後インターネットで感想をチェックしてみると、概ね好評のようで一安心。ならば、オグラはオグラで個人的なアーカイブ(?)を記しておこうという気になった。

100513ogu002.jpg■驚きのウィークエンド

3月の末だったか、4月に入ってからか、ル・ボラン誌の吉田聡編集長から電話をもらった。「5月9日に、横浜の赤レンガ倉庫でイベントをやるんですよ。8日から手伝ってもらえませんか、ボランティアで。昼飯は出します」とのこと。現編集長に請われてしまったなら、OBとしてはオッケーを出さざるを得ない。その後、特に連絡はなく、なにを手伝えばいいのか全然分からないまま、5月8日の早朝、ヨコハマの赤レンガ倉庫に向かった。そこから、まさに驚きのウィークエンドが始まった!

早朝のスタッフミーティングでの、最初のビックリは、このイベントを仕切る代理店の代表が、その昔、ル・ボラン誌のバイトだったH君だったことだ。朝礼ではシャキッと挨拶して、インカムの使用方法やロープ張りの要領を分かりやすく説明する。彼は、ル・ボラン誌のバイトになる前、どこかのガソリンスタンドで働いていたそうで、随分とヤンチャもした模様。その頃、オープンカーを作ったことがあるとのことで、「簡単ですよ。ピラーを切っちゃうんですよ」といわれて、呆気にとられたことを覚えている。18歳だったと思う。そんな彼が、いまや代理店の代表。ウーン・・・

100513ogu007.jpgと、感慨に浸る時間もなく、いい渡された作業は、なんと会場のロープ張りだった。還暦を迎えたOBになにをやらせるんだと思ったが、ボランティアを引きうけてしまったのだから文句はいえない。派手なイエローのスタッフジャケットとインカムを受け取って、他のメンバーとともにパイロンを並べ、そこにロープを張っていく。最初はスムーズに張れていたが、そのうちロープが絡んでしまって、にっちもさっちもいかなくなる。終了予定時間に間に合うかどうか、いささかビビッてしまったが、なんとかほどいて完了させる。フーッ。

100513ogu006.jpgそこに、今度は展示車両がキャリアカーでどんどん運ばれてきて、会場に搬入され、定位置にセットされる。午前中には、テントもそこそこ設営されて、イベントの会場という雰囲気が色濃く漂うようになる。当然といえば当然かもしれないが、会場設営の準備にしても、事前に綿密な打ち合わせが行なわれていたようだ。各パートに分かれてそれぞれのチームが黙々と準備を進めていく様子は、このところ組織だった動きにはまったく無縁だったオグラには、これもまた感心させられるものではあった。ヘェー、である。

ル・ボラン誌の編集スタッフによると、モーターショー的なイベントをやろうという意向は、2年ほど前からあったそうな。ル・ボラン誌はどちらかといえば、昔からあまりイベントには積極的ではなかったから、それだけでも驚いたが、吉田編集長は創刊400号の節目を迎えて、一気に燃えたよう。広告営業のスタッフとともに、国内自動車メーカーや海外インポーター、自動車用品関連企業に協賛をお願いして回ったそうだ。こんな時代である。大変だったと思う。OBとしては、心から労をねぎらいたい。

広告営業のスタッフとは、K女史である。覚えていらっしゃる方も少なくないと思うが、ル・ボラン別冊の"フォルクスワーゲン・ゴルフ・ファン"で連載したゴルフ2の長期テストカーで、サーキット走行に挑戦したKさんだ。彼女は各方面のサポートを得て、驚くほどの上達を見せたが、結婚を機にサーキットからは引退(?)した。オグラとしては、色々な意味でホッとしたものだ。そのKさんが広告営業ウーマンとしてのパワーを以前よりも数倍増大させているだろうことは、このイベントの内容、大きさからして、十分に推測できる。その仕事っぷりからして、女史と呼ばせてもらっても差し支えないだろう。知らないうちに、よくもまあここまで。パチパチ(拍手)だ。

■晴れてヨカッタ!

翌9日、イベント本番の盛況ぶりは、皆さん、ご存知の通りだ。

100513ogu003.jpgかつて業界にいたものとしてオグラが驚いたのは、出展した海外インポーターの鷹揚さ。さすがにスーパーカーのゾーンにあるクルマは別にして、ほとんどがドアを開放し、来場者に室内に入ることを許していた。体験試乗(同乗走行だが)に用意されたクルマも、ポルシェはパナメーラ、アウディはR8、ロータスはエヴォーラと、おいそれとは乗れないものが混じる。ということで、会場には一種の興奮のようなものもあって、クルマ好きのためのアミューズメントパークになったような趣があった。赤レンガ倉庫が横浜有数の観光地で、家族連れが多かったことも、和やかな雰囲気を醸しだした要因かもしれない。若い人も多く、「若者のクルマ離れ現象」なんて、誰がいったのという感じだった。

オグラがとてもうれしかったのは、かつてル・ボラン誌で編集を担当した連載企画"ハロー・スーパー・クラフトマン"の取材先の方が、ワザワザ挨拶に来てくれたことだった。この企画は、あまり表には出てこない自動車整備工場や板金塗装工場の、隠れた"匠"を訪ねてそのヒストリー、そこから生まれたポリシーなどを聞くというもので、書き手はいまは亡き中沖満さんだった。かなり昔のことなのに、「ひと言、お礼を」といわれた時には、なんというか、驚きとともに胸にグッと来るものがあって、編集という仕事をやっていてよかったなとしみじみ思った次第。新倉自動車工業の新倉さん、ありがとうございます!

そんなこんなで、オグラ驚きのウィークエンドは瞬く間に終わった。古巣のイベントに参加してみて思うのは、かつてのスタッフの成長ぶりであり、彼らがまさに現役でバリバリ働いているという頼もしさ。オグラの年金のためにも、素晴らしいことだ。で、オグラの身体に残ったのは、2日間とも朝7時集合という、普段あり得ないスケジュールに縛られた疲労感と、強烈だった紫外線ゆえの日焼け。オグラの場合、白髪、加えてテッペンが薄いから、おでこどころかオーバーヘッドまで赤く焼けてしまった。いま、ボロボロを皮が剥がれ始めている。ウウ・・・

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