091206kawauso002.jpg北千住丸井の1階フードコートに「韓菜」という韓国料理のファーストフードがある。メニューはシンプルで、大ざっぱに言うとチゲ、ビビンバ、冷麺の3種類しかない。海鮮スンドゥブチゲとか、明太マヨネーズビビンバとかあるが、中に入れる具とトッピングの違いであって、基本は3種類だ。直球勝負は好感が持てる。スンドゥブチゲ(豆腐メインの辛い鍋)は辛さが3段階選べて、私は良くこれの2を食べる。

091206kawauso001.jpgファーストフードなので、感動するほど美味いということはないが、注文してから2~3分でできてくる割には、十分に満足感が得られる味である。美味いという以上に、クセになる感じで、ついついまた食べてしまう。辛いものはクセになりやすく、リピートしてしまう傾向にあると思う。食べなければしばらく食べないが、一度食べると繰り返し通ってしまう。少なくとも私自身はそうだ。

辛いものを繰り返してしまうというのは、辛さに習慣性があるからだろう。意外なようだが、甘さにも習慣性がある。北米に出張すると、最初現地のケーキとか甘すぎて食えない。そのうち慣れてくると、もっと甘いの、もっともっとと、どんどんエスカレートしてアメリカの激甘を平然と食べられるようになってしまう。アメリカ人が太りがちなのも頷ける。

野生の動物には肥満はない。理由のひとつとして、味付けしないからだそうだ。ライオンがシマウマを襲って食うとき、塩コショウはしない。想像してみても、生肉のストレートだから、美味いはずがない。つまり、よほど腹が減ってないと食えるようなもんじゃないし、腹八分目以上に食おうとは思わないだろう。自分がライオンでもきっとそうだ。

味付けをすると食事の目的が変わる。エネルギー補充のためではなく、美味いという快刺激のために食うようになる。手段が目的になることを文化と言って、防寒はファッションになり、移動手段(車)がイジる対象になり、摂食は料理になる。もっと美味く、もっと綺麗に、芸術のような料理もある一方、味の刺激を単純に強めていけば必然的に濃い目の味になる。

激辛はその極値であり、味の刺激からくる習慣性と、耐性の高進のためにより強い刺激を求めるという連鎖の果てに、一般からかけ離れたような激辛に到達するのだと思う。実際、度を超して辛いものを食べると、ある種の陶酔感がある。しかも、あとで胃や腸が苦しいにもかかわらず、また食べてしまう。甘さも高進するが、味覚の中では辛さの高進が最も顕著だろう。

辛いもの好きの嗜好は、辛さへの習慣性という意味では大同小異なのであるが、あえて2つに大別してみたい。ひとつはとにかく辛さの度合いを求める群、もうひとつはバランス重視型で辛さを要素とした美味さを求める群である。前者も辛いだけじゃ駄目と言うし、後者もかなり激辛を食べるが、強引に分類してみよう。いま仮に、前者をゲキ辛と呼び、後者をウマ辛と呼ぶ。さて両者をどう見分けるか?

まず、ゲキ辛派はどんなに辛いものを食べても辛いと言わない。「なかなか美味しいね」とか「こんなの辛いうちに入らないよ」とコメントする。食べる時の表情もことさら平然としていてちっとも辛そうでない。途中で水も飲まない。自分はウマ辛派だと思っていても、こういう行動を取ったならそれはゲキ辛派なのである。本人は本当に辛くないのか、あるいはやせ我慢か、そんなことはどっちでも良い。とにかく辛いものを辛そうでなく食べたらゲキ辛派だ。

ウマ辛派は、どう食べるか?「うへ~ぇ、カッレーぇぇ」「うわっ、びりびりくるよ」「あぁ、汗がでてきた、鼻水もたれそうだ」と言いながら食べる。顔の表情も本当に辛そうで、時々舌を出してその舌を扇いだりする。流石に水はあまり飲まないが、無理に絶対飲まないということもない。「そんなに辛いなら食わなきゃいいじゃん」と端から言われるくらい辛がりながら、結局最後まで食べてしまい、「あぁ辛かった」と半ば自分でも後悔しつつ、またリピートしてしまう。

そして、辛いもの好きの本質は、ゲキ辛にあらず、ウマ辛にあり、なのである。辛いもの好きということは辛いから好きなのであって、客観的に凄く辛いものをちっとも辛く感じないとしたら、それは結局辛くないのが好きだということになってしまう。あるいは辛いと感じていながらことさら平然と食べる裏には辛さを克服する気持ちがあり、達成感とか、虚栄心まじりのプライドが見え隠れする。その気持ちの延長上には、辛さを度合いで評価するゲキ辛路線しかない。

ウマ辛の第一歩は、辛さに勝てないことを認めることなのだ。これは、ある種のマゾかもしれない。マゾがちっとも痛がらなかったらマゾにならない。大げさに痛がりながらも求めるからこそマゾなのである。実際、耐えられるかどうかギリギリの辛さからくる陶酔感は、自らリアクションすることで増長する。その意味では、如何に辛そうなリアクションをするかという表現力も辛いもの好きの重要な要素なのかもしれない。

一方、ウマ辛の見地からすると、辛さは強めれば強めるほど他の味から浮き立ってバランスを崩す。辛いものを食わせる店で、辛さが段階になっている場合、調理の最後の方で辛さの元みたいな真っ赤なものを何サジ入れるかで調節しているような料理は大概ウマ辛にならない。辛いものが美味いと言えるかどうかは、辛さが遊離せずに味全体に渾然一体となっているかが重要なのである。なので、辛さの選択肢があったら中間くらいを選ぶのがまずは無難なのだろう。

いや、ちょっと屁理屈を捏ねすぎた。若い頃、ゲキ辛派の端くれだった私は、最近強すぎる刺激に耐えられなくなってきて、ゲキ辛どころかウマ辛からもオチこぼれた感じだ。青唐辛子だらけのトムヤムクンをヒーヒー言いながら食べていた頃が、ちょっと懐かしい。バランス重視と言ったら大人っぽいが、なんでもかんでも程良くバランスしてしまってはつまらない。季節も丁度良い感じだし、久しぶりに無意味なチャレンジで激辛を食べてみようかと思う今日この頃である。

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