2003年に製造された最後のビートル2台が、生まれてまもなく離れ離れになり、20年の時を経て再会した。

※この記事は「Auto Bild JAPAN Web」より転載したものです。

画像: AUTO BILDのクリーム色の白いVWビートルと、ヴォルフスブルクのAutostadtにあるほとんど使われていない青い相棒が再会した。

AUTO BILDのクリーム色の白いVWビートルと、ヴォルフスブルクのAutostadtにあるほとんど使われていない青い相棒が再会した。

2023年10月、ウォルフスブルク。秋の最後の暖かく乾いた日だ。そして、この愛らしい丸い目をした二台の球体のようなクルマが、互いに姿を見失ってからすでに20年以上が経っていた。

ビートルがビートルに出会う。いまだに55,000台のタイプ1“ビートル”が登録されているのだから、それ自体は決して珍しいことではない。

しかし、今回は特別なのだ。今日、われわれはウォルフスブルクに行き、最後に製造され、まだ登録されていない最後のビートルを訪ねた。今日、われわれは、ともにあるべきものでありながら、生まれながらにして分断されていたもの同士を結びつける。今日、われわれはこの地球上に存在するなかで最も小さなビートルカルチャーデイズを開催する。

クリームがかった白いビートルは、ハンブルクにあるAUTO BILD KLASSIKのガレージからそのまま出てきた。ブルーのビートルはアウトシュタットコレクションのもので、ツァイトハウスに何年も展示され、世界中の8000万人以上の目を楽しませてきた。

クルマが丸くて、リヤにエンジンと駆動系を積み、そしてボンネットの下に大きな力を秘めているとき――そのクルマは生きていて、考え、感じているのだ。会話することだってできるんだ!

ビートルの歴史にピリオド

2003年7月30日は水曜日で、当時のAUTO BILD副社長、カール=アウグスト・アルムシュタットは、総生産台数2152万9464台のカルトカーに敬意と威厳をもって別れを告げる最後のビートルの歴史的なイベントに出席するため、メキシコのプエブラを訪れた。AUTO BILDにとってビートルが世界にとって重要であったのと同様に、彼のキャリヤにおいて最も感動的な出張となった。

大人になった男たちはビートルの瞳を覗き込み、経済成長の象徴だったそのクルマの後部座席で過ごした子供時代を思い出した。前の座席の間に膝を押し込み、小さな手で肘掛けをつかんでいたあの日々を。そして彼らは、まるでクリスマスにカッコいい子供用のゴーカートではなく、三輪車しかもらえなかったかのように涙を流した。

画像: 2003年7月30日、フォルクスワーゲンはビートルの生産を終了した。。お別れとして、メキシコのプエブラの生産ラインから3000台の特別モデル 「Última Edición(最終エディション)」がラインオフされた。

2003年7月30日、フォルクスワーゲンはビートルの生産を終了した。。お別れとして、メキシコのプエブラの生産ラインから3000台の特別モデル 「Última Edición(最終エディション)」がラインオフされた。

ビートルたちの架空の会話〜その1

白ビートル :友人のカッレが、巨大な赤いAUTO BILDのロゴを私のドアに貼り付けたんだ。だから“これは一騒動あるぞ”ってすぐに分かったよ。
青ビートル :ああ、フォルクスワーゲンの連中も一度、テーマと日付をフロントガラスの縦いっぱいに貼り付けたことがあったな。その時点で、ドライバーが何も見えなくなるって分かってたさ。もし見えたとしても、ドイツの警察に止められるに決まってる。あそこはちょっと堅物だからな。
白ビートル :堅物なのはドイツの警察だけじゃない、ドイツの官僚主義もかなりの堅物だよ。ああ、もしメキシコにいられたらよかったのに。あそこなら暖かいし、登録手続きだって私たちの発明者の祖国よりずっと楽なんだから。

OBDインターフェース

ここで登場するのがOBDインターフェースとEUだ(あのバナナの長さや太さまで決める連中だ)。1998年に彼ら“机上の政治家”が定めた規則によると、2001年以降のすべての新車には電子式車載診断装置(OBD)を搭載し、触媒コンバーターを常時監視して、次回の排ガステストで初めて欠陥が見つかるような事態を防がなければならなくなった。

メキシコ製ビートルも排気ガスを浄化し、EU3基準を満たしてはいるが、OBDソケットは装備されていなかった。1938年にフォルクスワーゲンが初めて登場したとき、まさかこんなものが後にそれほど重要になるとは、誰も想像すらしなかっただろう。

官僚的でない解決策

じゃあ、どうする? ミュンヘンの輸入業者オムニカーには、登録できないビートルが350台も庭先に置かれ、その総額は455万ユーロにのぼっていた。だが残念なことに、役所の小役人たちはクルマへの愛情など持ち合わせておらず、愛しているのは自分たちの規則だけだった。激しいメディアの圧力――AUTO BILDが執拗に報じ続け、ARDの番組「Fakt」、さらに「RTLナハトジャーナル」や「シュテルンTV」といったテレビも取り上げたことで、事態は突如として動き出した。

AUTO BILDからの繰り返しの要請を受け、当時のバイエルン州首相エドムント・シュトイバーは、経済大臣オットー・ヴィースホイに対し、「官僚のように頑なに突っぱねるのではなく」、すべての選択肢を検討して「非官僚的な解決策」を見つけるよう指示したのだ。

そして2004年5月4日、ヴィースホイの経済省は解決策を提示した。バイエルン州における最後のビートルには特例が認められたのである。ただし条件はひとつ。排ガステストは2年ごとではなく、毎年受けなければならないというものだった。経済省の報道官はこう述べた。「他の連邦州もこの規定に追随することは十分に考えられます」そして彼の言葉は正しかった。

画像: AUTO BILDビートルはハンブルクからウォルフスブルクまで、年間平均2,500kmを当然のように往復した。

AUTO BILDビートルはハンブルクからウォルフスブルクまで、年間平均2,500kmを当然のように往復した。

ビートルたちの架空の会話〜その2

青ビートル :お前が“最後に登録されたビートル”ってわけじゃなかったのを知ってるか? もともとは俺だったんだぞ。ナンバーは WOB-VW 113で登録されてたんだ。2008年には、AUTO BILD KLASSIK の最初のラリーに出場することも許されて、142台中6位でゴールしたんだ。お前にはできなかったことだな!
白ビートル :もう一言でも言ったら、競技長に報告してやるからな。あんな巨大な文字をフロントガラスに貼ってたくせに、本来なら出場すら許されなかったはずだ。遡って失格にされてもおかしくなかったんだぞ……
青ビートル :少なくとも俺のオドメーターはもう0じゃない。939を刻んでる。
白ビートル :俺なんかもうすぐ5万キロだ。それにオーストリヤの雪山にも行ったことがある。ハンブルクからウォルフスブルクを経由してベルリンまでの短いドライブなんて、大したことないさ。

凍てつくテスト環境

AUTO BILDの白ビートル――いや、正確には「ハーベスト・ムーン・ベージュ」の奴は、すぐにナンバーをHH-BZ 974に付け替えられたのだが、最後に登録されたビートルとして残った一台だ。青い兄弟は、ラリーが終わった直後に登録を抹消されてしまったからだ。

そして2009年12月、この白ビートルは“白い奇跡”を体験する。雪深い山々での冬季テストである。

画像: 凍てつくテスト環境

AUTO BILDの結論はこうだ。ビートルはハンドリングの面で特に印象的だった! テスターたちの意見は一致していた。「軽量で、その大半がリヤにかかっていて、電子的な運転補助が一切ない――だから安全にコーナリングできるのは熟練ドライバーだけだ。だがその一方で、スラロームで本領を発揮。細いタイヤでスムーズにパイロンコースを駆け抜け、最速タイムを叩き出すんだ。おいおい、すごいじゃないか!

ブレーキング(ABSなし、制動力弱い)、ヒーティング(足は熱く、頭は凍える)、装備(シートヒーターなどはプログラムにはなかった)ブレーキング、装備の面では時代遅れは否めない。それはともかく!重要なのはドライビングプレジャーなのだ。

ビートルたちの架空の会話〜その3

白ビートル :ほら兄弟、お前はこんなAUTO BILDのテストを体験したことがないだろう? 俺はもう、編集部のディーク・メラーやヤン・ホルンにドライブしてもらったんだ。全開で飛ばすあの二人は、クルマでのユーモアはいつだって後ろからやってくるってことを知ってるんだよ。
青ビートル :お前、本当にいいように騙されてるな。ドアやボンネットに書かれたあの53なんて、相棒の“ハービー”だけの特権だろ!
白ビートル :でもコンチドロームを全力で追いかけられたときは、めちゃくちゃ楽しかったぞ。その前にタイヤも新品に替えてもらったしな。お前はまだオリジナルのゴムタイヤを履いてるんだろ? 一日中そこに置かれてたせいで、きっと角ばってるはずだ!
青ビートル :お前の主人のAUTO BILDの連中は、もっと防錆や防水に投資すべきだな。見たところ、もうすぐオムツを履かなきゃならなくなりそうじゃないか! ちなみに俺には、失禁なんて問題ないけどな。

エバーグリーンの弱点

実は、AUTO BILDビートルはすでに何度か病院、いや、工房を訪れている。最初の長期治療は10年前に行われた。2013年、ビートルにはサビが発生した。錆の中心はフロントアクスルを支えるフレームヘッドで、溶接が難しい。バッテリーの下(リヤシートの下)、ジャッキアップポイント、ヒーターダクト、リヤホイールアーチの補強プレートにも錆がある。ワックスのおかげと、冬季にほとんど使われなかったこともあり、AUTO BILDビートルは今でも見た目が良い。エンジンについては、常に絶好調というわけではない。

ここで登場するのが、燃料噴射式ビートル全般が抱える問題だ。走行が少なく、放置されることが多い場合に起こる。白ビートルは、走行距離がわずか5万キロ弱で、年平均に換算すると最大でも2,500キロ程度にしかならない。つまり、これは走るためのクルマではなく、置物のような存在なのだ。

2016年にエンジンが始動するとフラット4独特の非常に金属的な音を発し、いつもの“いたずらっ子の歌”を奏でる気配を見せなかった。AUTO BILDの同僚でビートルの専門家であるヤン・ホルンは、原因がベアリングの不良かピストンの傾きのどちらかだと考えた。ヤンはビートル仲間たちに相談し、カムシャフトとバルブトレインの間に位置し、バルブクリヤランスを補正する“ハイドロリックタペット”に問題があると突き止めた。1600iエンジンには二つの選択肢がある。ハイドロリックタペットを交換するか、剛性タペットに改造するかだ。部品自体は比較的安価で手に入るが、作業は非常に手間がかかる。

キールにあるバルティック・ケーファーの専門家たちは、エンジンを取り外し、ブロックを分解して交換作業を行った。ヤンは請求書をこう覚えている。「ガスケットセット、ピストンピンリテーナー、保護チューブ、プッシュロッド、VW T3用のタペット一式で300ユーロだった。作業工賃は1,200ユーロだ。取り外し、取り付け、分解だけで丸一日以上かかったからね。」

ビートルたちの架空の会話〜その4

青ビートル :俺はまだ全部オリジナルだぜ、兄弟!
白ビートル :それには同意できないな。エンジンルームの内側を黒く塗ったのはどいつだ?
青ビートル :それは言うなよ! やらかしたヤツはフォルクスワーゲンの社員食堂でカリーヴルストを一生食べられないようにすべきだ!
白ビートル :まあ、俺にだって優しくしてくれる人ばかりじゃないけどな。行く途中でメイが俺のCDスロットに何を突っ込んだか知りたくもないだろう。ポップミュージックなんて大嫌いだ!

アルティマエディションには、2003年にはゴルフ4 GTIにしか標準装備されていなかったCDラジオが搭載されていた。メキシコ製ビートルは1303のような進化段階には達していなかったが、それでも良いもの、高価なものを思いつく限り詰め込んでいた。シャシーに関しては、スイングアクスルを含め、1960年代末期で停滞したままだ。それでも、だからこそ今ではカルト的な名車である。

画像: Autostadtに展示されていたビートルのバンパー。クロームはまるで新品のようだ。

Autostadtに展示されていたビートルのバンパー。クロームはまるで新品のようだ。

結論

さて、確かに私は偏見を持っている。自分自身もビートルを持っているし、大のビートル好きだからだ。しかしここで断言しておきたいのは、われわれのAUTO BILDビートルを売りたがる数字にうるさい人たちには、猛反対を表明したい。

ビートルを生産中止にしたフォルクスワーゲンの判断は正しかった。それは仕方のないことだ。ただし、このクルマは現代史の証であり、永遠に残さなければならない。後世に残すことは、自動車文化に対する責務である。

(Text by Andreas May / Phots by Fred Roschki)

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