世界一有名なフォルクスワーゲンといえば、おそらくビートルズによる1969年のアルバム「アビイ・ロード」のジャケットに写り込んだビートルであろう。ジョージ、ポール、リンゴ、ジョンが歩く横断歩道の左背後に、1台の白いビートルが背を向けて写っている、あれだ。
アルバム発売から50周年にあたる2019年9月、フォルクスワーゲンのスウェーデン法人は記念ジャケット「ビートルズ アビイ・ロード リパークド・エディション」を限定発売した。レコード盤は同封されていない。VWと歴史的な取引がある広告代理店「DDB」のスウェーデン法人との共作による。
企画を説明するには、同社の解説を引用するのがふさわしい。「1969年、フォルクスワーゲンビートルがロンドンのアビイ・ロードの歩道に誤って駐車されました。ドライバーがおそらく予想していなかったのは、車が世界で最も象徴的な写真の1つになることでした。50年後、フォルクスワーゲンはパークアシスト技術を強調するために車を駐車し直しました」とある。
再撮影とCG双方で完成した新作ジャケットをよく観察する。オリジナルのジャケットでは無造作に歩道に乗り上げているビートルが、たしかに正しく車道上に駐車されている。
加えて、オリジナルでは「LMW 281F」のナンバープレートが「MLB 106」に換えられている。推測に過ぎないが、MLBはフォルクスワーゲングループのMLBプラットフォームにかけたものだろう。右奥の車も、3代目ポロをベースとしたフォルクスワーゲン製MPV「キャディ」と思われる車両になっている。
「ビートルズ アビイ・ロード リパークド・エディション」は、179スウェーデン・クローネ(約2000円)で販売され、すでに完売御礼となった。売上は子供の権利を呼びかける団体へ寄付されるという。
ちなみに、世界の広告を紹介するウェブサイト「Ads of the World」の2007年4月付には、4人の代わりに4台のニュービートルが横断歩道を渡る
フォルクスワーゲンの広告が掲載されている。オスロの代理店が制作したものだ。だが今回のフォルクスワーゲンのスウェーデン法人による企画は、さらに手の込んだものといえる。
ここからは、「アビイ・ロード」とフォルクスワーゲンに関するミニ知識を少々。
オリジナル版の背後に写っている初代ビートルは、イングランドのスウィンドンで1968年に登録された車両であることが判明している。撮影地の近隣住民だったというオーナーは、購入直後に愛車が写されたわけだ。
ナンバープレートの一部「281F」は、1969年にアメリカの大学生たちの間で広まった「ポール・マッカートニー死亡説」を、図らずも助長する原因になった。
「28IF(もし)」と読めることから、「仮にポールが(アルバム発売の翌年である1970年に)28歳まで生きていたら?を示しているのではないか」という噂が蔓延したのだ。
なお、それとは別にジョン・レノンが所有していたとされるビートルは、アメリカ、イタリアを経て現在ドイツのオーナーのもとにある。ボディカラーが白であるうえ、今日ナンバープレートが「アビイ・ロード」と似たものが装着されているため、ジャケットの車と混同される事態が生じている。
「アビイ・ロード」といえば、かつて東京在住時代、近所のコイン洗車場は「アビイ・ロード」という名前だった。「水を浴びイ・ロード」という駄洒落だったのだろう。
それはともかく、今日イタリアに住む筆者のまわりでも「アビイ・ロード」は、いまだ多くの人の脳裏に刻まれているようだ。たとえば今年夏、筆者が訪れた同じ州内のエルバ島では、それを模したバリケードを目撃した。
また、わが街で見かけるピンクのニュービートルには、アビイ・ロードをシルエットで模したカッティングシートがしっかりと貼られている。
それはともかく今日、映画を制作する際には「車両協力」のスポンサーを探す。いっぽうで、多くのビジュアル企画では車のブランド名が判別できないようにする。ナンバープレートも適切な処理が施される。
それに対して半世紀前は、なんとおおらかなこと。同時に、偶然写り込んでしまい有名になってしまったフォルクスワーゲンというブランドは、世界数ある自動車メーカーの中でも、なんとラッキーなことよ。
(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)