100923-A7-105.jpgイタリア直送 大矢アキオの
かぶと虫! ビートル! マッジョリーノ!

第5回 アウディ100クーペでニョキニョキっ

「いつかは◯◯◯◯」というのは、日本の自動車広告における名コピーであるが、1970年代にフォルクスワーゲンの「かぶと虫」ことビートルに乗っていたボクの家に関していえば、ずばり「いつかはアウディ」であった。
今でこそ知名度抜群のアウディであるが、1970年代中頃、まだアウディを知っている人は限られていた。

ボクのまわりでアウディに乗っているのといえば、白いアウディ80に乗っている近所の歯医者さんか、黄緑色の同じく80に乗っていた、ボクの小学校の女の先生くらいだった。路上で見かける機会も今より格段に少なく、前回記した「ワーゲンを見たらシアワセになれる」という占いが正しければ、アウディを見つければ、よりシアワセになれたはずだ。

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これも前回書いたが、当時のヤナセはかなりのどかだった。定期点検などで、営業所からちょっと離れたわが家にウチのかぶと虫を引き取りに来ると、代車を置いていってくれた。そのとき、幸いにも初代アウディ100クーペ(C1系)が、たびたび当たった。

わが家の車庫は小さかったため、かぶと虫は収まっても、100クーペSはお尻がはみ出した。それでもグリーンのボディは子ども心に、なんとも流麗に映った。

100クーペが家にある間は、小学校から帰ると、車内に座ってしばし過ごした。「質感」などという言葉はまだ知らなかったものの、100クーペのダッシュボードは、鉄板むき出しの1972年型かぶと虫と違い、木目が配されていて高級感が漂っていた。

ラジオはかぶと虫と同じくヤナセが装着したナショナル製だったと思うが、格段に立派なカーステレオだった。ただし、実際にいじった覚えがないのは、テープレコーダー部分が8トラックで、わが家にテープがなかったからかもしれない。

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しかしながら、今でこそさまざまな自動車メディアでうんちくを垂れているボクが、実は最もシビれたアウディ100クーペの装備といえば、ずばり「パワーアンテナ」だ。スイッチは今思えば秋葉原の部品街で買えるような無骨なタンブラー式だった。

それを操作すると、リアフェンダーからアンテナポールがニョキニョキっと伸びた。親に「人様のクルマだから、あまりいじるのはやめなさい」とたしなめられるまで、上下操作を繰り返していたものだ。

ちなみに、当時のかぶと虫のフロントピラー付近に付いていたアンテナは、いたずら防止のための小さな専用キーを使って、毎回それを突っ込んで引き延ばさなければならなかった。それからすると、パワーアンテナは、とてつもなくカッコよかった。

かくして、ボクはアウディ100クーペは良いクルマだ→100クーペにはパワーアンテナが付いている→パワーアンテナが付いているのは良いクルマだ、という恐るべき三段論法を構築してしまった。

そのため、後年空力を考慮したガラス埋め込み型アンテナが各メーカーから登場して世間でもてはやされても、ボクはまったく萌えなかったのであった。

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(中程の写真)2012年に独エッセンのヒストリックカー・ショー『テヒノクラシカ』で見つけた1972年アウディ100クーペS。解説パネルによると、最高速は179km/h。

(末尾の写真)同じエッセンだが、こちらは地元の古典車ミーティングにて。子どもの頃憧れた100クーペに、ここでも再会。 

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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