140303-Oya-02.jpgイタリア直送 大矢アキオの
かぶと虫! ビートル! マッジョリーノ!

第6回 そのアウディ80はピヨピヨ鳴いた

子ども時代、アウディは憧れだった、というのが前回のお話だった。

今回は、その続きである。

ボクが中学卒業を控えた1980年代初めのことだ。幼稚園時代から家にあったフォルクスワーゲン"かぶと虫"ことビートルの車齢が10年になろうとしていた。

父が毎日のように手入れをしていたことから、外観・機関ともすこぶる快調だった。しかし予想される「1年車検」は、わが家のような一般家庭にとって、けっして軽い出費ではなかった。

同時に毎年夏、信州に行くとき、エアコン未装着のかぶと虫は、かなり暑さが厳しかった。当時長野方面へは国道18号を使うしかなく、お盆の渋滞はひどいものだった。母が「せめて車内用扇風機を付ければ」と提案したものの、オリジナルコンディション維持主義の父に却下された。

かぶと虫用に一部で販売されていた後付けクーラーも、費用対効果は限定的という情報を得た。「冷房は体に悪い」という父の性格も、エアコンへの対応を遅らせた。最後には、隣町に残っていた氷屋さんで氷柱を買ってリアシートに載せるという奇策まで検討したのを覚えている。

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わが家がそんなこんなを繰り返しているうちに、世の中では国産車にまでエアコン付きがどんどん普及していった。

そこで、10年ぶりの新車購入案が現実味を帯びてきた。ターゲットは、ヤナセや晴海の外車ショウでたびたびチェックしていた2代めアウディ80GLEだった。ジウジアーロのデザインによるそのボディは、初代以上にスタイリッシュだった。ただし価格は、約360万円。あまりに高額だった。

そんな折、ある日ヤナセのわが家担当セールスマンがふらりとやってきた。そして「いいアウディ80があります」と教えてくれた。

140303-Oya-01.jpg横浜デポーにある1年落ちモデルが1台残っているという。カラーチャートを見せてもらうと、スペインの地名にあやかったマラガ・レッドという色だった。

しかし話には先があった。グレードはGLEではなく、LEというベーシックモデルだった。外観ではサイドプロテクション・モールが省かれている。トランスミッションもGLEが3段ATなのに対して、LEは5段マニュアルだ。パワーステアリングも省略されている。価格は300万円ぽっきり。GLEの新車より割安だが、まだ充分に高い。参考までに、のちにハイソカー(死語)の代表となった国産の2.8リッター・クーペが300万円超のプライスタグを付けて人々を騒然とさせた時代である。しかし、数日にわたる家族会議の結果、ボクの家は、そのアウディ80LEを手に入れることになった。中学3年の冬だった。
父の希望で納車は2月の大安の日だった。

かぶと虫にはなかったパワーウィンドーを上げ下げしていると、国産車のCMで同様の操作をしていた俳優・二谷英明の気分になった。アウディ100クーペの代車で憧れたパワーアンテナも付いていた。

何より、わが家にとって初めてのカセットプレイヤーが付いたクルマだった。そうしたものをいじっていると、助手席に乗っていても飽きなかった。

ボクもいつか運転する日が来る。そう信じたボクは、納車以来毎晩、取り扱い説明書をグローブボックスから抜き出した。そして「このたびはアウディNSUアウトウニオン社のアウディ80をお買い上げいただき、誠にありがとうございます」という文章で始まる解説を、枕元でラジオ番組「ジェットストリーム」を聞きながら熟読した。

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初ハイウェイは、国道18号に代わるものとして徐々に部分開通した関越自動車道だった。父がうっかり時速100キロを超えると、安全デバイスであるアラームが鳴った。ご記憶の方も多いと思うが、当時日本の保安基準によって装着されていたデバイスである。

多くの日本車は音階でいう「ミ、ド」というチャイムだったが、日本で後付けしたアウディ80のそれは、鳥が鳴くのに似た「ピヨ、ピヨッ」という、なんとも情けない音だった。それでも、ビートルでは遠慮していた時速100キロという未体験ゾーンに軽々と突入した感激は大きかった。

ダッシュボード中央の吹き出し口は常時外気導入に充てられていて、夏は涼風、冬は頭寒足熱状態が容易に得られた。今日フルオートエアコンのクルマに乗っていても、あの簡単さが不意に懐かしくなることがある。

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おっと,肝心のわが家初のカーエアコンである。

スイッチをオンにすると、独特のにおいが吹き出した。内部素材のにおいだろうが、それは小学校の遠足で感激したエアコン付き観光バスと同じにおいだった。実をいうと当時、ボクの家にはエアコンがなかった。アウディ80が、わが家で唯一の「冷房室」だったのである。

アウディ80のエアコンのにおいは、ボクにとって文明開化の香りだったのだ。
 
(冒頭の写真)取り扱い説明書。ページの間からは、父がはさんでおいた納車日の日めくりカレンダーが出てきた。

(中程の写真)ボクの家にあった1981年型アウディ80LE。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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