160824-GTI-06.jpg【イタリア直送 大矢アキオのかぶと虫! ビートル! マッジョリーノ!】

初代フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年)は、イタリア人カーデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロによるデザインである。

彼が設立したイタルデザイン-ジウジアーロは、2010年春にフォルクスワーゲン グループ入りを果たした。以来、世界各地にある同グループのデザイン/エンジニアリング拠点のひとつとなり、今日に至っている。

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トリノ郊外モンカリエリにある本社の門扉には今日、フォルクスワーゲン グループであることを示す表札が掲げられている。参考までに昨2015年11月から、社長はフォルクスワーゲン グループの監査役会担当部門からやってきたヨルグ・アスタロッシュがあたり、デザイン・ダイレクターはランボルギーニから来たフィリッポ・ペリーニが務めている。

ところでイタルデザイン社屋の一角には、社内で「ムゼオ(ミュージアム)」と称しているスペースがある。過去作品を集めた展示スペースだ。

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「ムゼオ」といっても、残念ながら一般公開はされていない。

かつて2006年トリノ冬季五輪の開催が決まったあと、都市をアピールする目的で、ウェブカメラによるヴァーチャル公開する案が外部から浮上したことがあった。しかし当時の関係者によると「間取り上、クライアントが往来するのが映っちゃうかもしれない」ということでNGになったという。

そのミュージアムに、1台の黒い初代ゴルフGTIが展示されている。

北米仕様の5マイルバンパーが前後に装着された黒の5ドアである。当時2台がフォルクスワーゲンによって特製され、ジウジアーロ本人とオーケストラ指揮者の故ヘルベルト・フォン・カラヤンに納められたという。

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ジウジアーロ用GTIの室内を覗けば、シートには彼の1978年コンセプトカー「メガガンマ」に採用された、斜めストライプの生地が使われている。

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このゴルフGTI、ジウジアーロは1970年代末にプライベートカーとして日々使用していたという。その証拠に、当時のイタリア法規による黒地のナンバープレートが今も装着されている。

1960年代末、ゴルフ誕生前夜のフォルクスワーゲンは偉大なビートルの後継車開発計画に困難を極めていた。

そうしたなか、デザイナーとして白羽の矢が立てられたのは若干30代の新進デザイナー、ジウジアーロであった。

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本人が筆者に語ったところによると、彼がヴォルフスブルクの本社に招かれてみると、そこにはイタリア製FWD車が研究用に分解されいたという。

そこまでの危機感を背負って開発された初代ゴルフは、先にジウジアーロがデザインした初代パサート(1973年)に次ぐかたちで発表され、たちまち大成功した。

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イタルデザイン-ジウジアーロは1968年の設立以来、300モデル以上の設計を手掛け、世界中を走り回る車の数は6千万台に達する。

にもかかわらず、ジウジアーロ本人は世界各国のメディアによる「最も印象的な仕事の1台は?」という質問の答えとして、たびたびゴルフⅠを真っ先に挙げている。

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そのうえ、最も輝いていた時代の自家用車としてゴルフを選び、その後も"ムゼオ"に保管し続けた。フォルクスワーゲンファンとしてなんとも嬉しいではないか。

(文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=ITALDESIGN-GIUGIARO、Akio Lorenzo OYA)

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