180817-Oya-01.jpg【イタリア直送 大矢アキオのかぶと虫! ビートル! マッジョリーノ!】

夏のあいだ、イタリアで意外に出会う職業といえば、ずばり「DJ」である。超有名なスターDJでない。街角のDJだ。

背景にあるのはフェスタ、つまり祭りの多さである。

世紀をまたいで続く伝統的行事、村おこしの祭り、町内会の祭り、そして政党の祭典。とくに夏のあいだは目白押しなのだ。

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DJが必要なのは、多くの祭りで、「踊り」が欠かせないからである。素朴なダンスからディスコ、テクノまで、ジャンルはさまざまだ。

ボクの20年来の観察からすると、DJが台頭した理由は主催者の経費節減である。

かつてそうした踊りには生演奏がつきものだったようだ。その需要の多さを物語るように、ボクが以前住んでいたアパルタメントには、かつてバンドのドラマーだったり、はたまた歌手だったというおじさんが住んでいた。

そもそも、かのシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相も若い頃、クルーズ船上でシンガーのアルバイトをしていた。

かわりにボクが住み始めた1990年代中頃、ダンスタイムの演奏は、シンセサイザーの生演奏に席巻され始めた。

そしてここ数年は、そのシンセ演奏が、ラップトップPCと周辺機器だけでやってくるDJにとって変わられつつある。

DJの料金は、ひと晩250〜600ユーロというのが相場だ。日本のJASRACに相当する「SIAE」という団体に払う費用は、込みだったり別だったりする。

話は変わって今年の初夏、ボクが住むシエナ近郊の祭り会場で、1台のビートル・タイプ1を発見した。正確にいうと、ラップアラウンドのフロントウィンドーをもつ1303である。

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バンパーにはかなり錆が浮いていて、ボディ表面はあちこち凹みが目立つが、それもいい味になっている。

タイヤは懐かしいホワイトリボンだ。レトロ風情を醸し出そうと後付けされた各種クロームパーツも微笑ましい。懐かしい「Dプレート」も、正確には車両の年代と一致しないものの、ムード盛り上げに一役買っている。

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リヤウインドーの古いステッカーからは、イギリス最大級の50年代リズム&ブルースおよびロックンロール・フェスティバルである「リズム・ライオット」の文字がかすかに読み取れる。

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そのビートル、車両移動する必要に迫られたときを慮ったのだろう。ダッシュボード上には紙が置かれている。覗くと、こう書かれていた。

「祭りのDJです......ステージで声をかけてください」

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実際にステージを訪れてみると、DJが早くも仕事を始めていた。ボクが「あのビートル、あなたのですか?」と声をかけると、ノリ良く即座に親指を立てた。

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「レッドムーン」ことステファノ・ブルーノ氏は、花の都フィレンツェをベースにしているという。1930年代から50年代のムードをこよなく愛し、スウィング、ジャイヴ、ドゥーワップそしてロックンロールを得意とするDJになった。

この手の音楽は、意外にイタリアで安定した人気がある。実際に流行した時代を知っているお年寄りは、いまだ踊れる。若者も近年テレビで話題のダンス選手権番組のおかげで興味をもつ人が少なくないのだ。 

その日も、フィレンツェからやってきたダンス教室のメンバーが、華麗な模範演技を披露していた。なかには思わず「ギブミー・チョコレート」と叫びたくなるような進駐軍風のお兄さんも。やがてレッドムーン氏までステップを踏み始めた。

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ロックンロール&スウィング人気上昇にともない、レッドムーン氏には各地の祭りから声がかかる。今年の夏は、船に乗ってエルバ島にまで遠征した。

別れ際レッドムーン氏はビートルを指しながら、ボクに「これ、買うか?」と言って笑った。地球温暖化が進む中、さすがのビートルも炎天下の行軍にはキツいのかもしれない。

ただし勝手なことをいえば、レッドオーシャンともいえるイタリアのフェスタDJ業界で、ビートルは彼の良きアイキャッチになり得る。さも「俺は売れっ子だゼ」といわんばかりに大型SUVに乗って現れるDJより、ボクは好感がもてる。

ここはひとつ末永くお乗りいただきたいものだ。

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(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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