■ モデル・グレード:TYPE-1 1302S
■ Model Year: 1971
■ Model Year: 1971
■ ボディカラー: 水色/紺
■ 購入時期:1971年
深い輝きを放つ紺色のビートル。その傍らに立つ紳士は、44年間もの長きにわたりこのクルマと過ごしてきた中根さんだ。
いまや街中では珍しいビートル。しかも、いつもぴかぴかのクルマだけに紺色のビートルは岐阜市内でも有名な存在のようだ。
「たまたま飲み会の席で、『紫色のワーゲンをよく見かけるけど、どんな人が乗っているか知りたい』という話が若い女性から出て、『それ、私です』といったら『イメージが違った』といわれたことがありましたよ」と苦笑いする。
中根さんは1942年生まれの72歳。岐阜市で整形外科クリニックを営むドクターである。デスクのミニカーは患者さんからプレゼントされたものだ。
「交通事故に遭ってここを訪れる患者さんとは、このミニカーを使って事故当時の様子を確認するんです」。
1971年7月に水色のビートルを新車で購入。「結婚したあとに買ったから、嫁さんの次に付き合いが長いんですよ」とにこやかに語る。ナンバープレートの文字は当時のままで、「岐55」が歴史の長さを物語っている。
当時勤務医だった中根さんがビートルを買った理由は単純明快。「リヤにキャリアをつけてスキー板を立てて走るのに憧れてね(笑) そのころはスカイラインが流行っていて、このワーゲンも同じくらいの値段がしました。当時の上司がドイツ帰りで、その人の影響はありましたね。学生時代のアルバイト先の先生がワーゲンに乗っていたのも関係あるかもしれません」。
仕事の都合で、一時、愛媛に移り住んだことがあった。「引っ越しのときは、大きな荷物はトラックで送り、このワーゲンに家族とテレビを載せて松山まで走っていったのを今でも覚えています。意外に荷物がたくさん積めるんですよ。あのころは子供を連れてよく走りました。四国にいるときが一番楽しかったなぁ」。
その後、岐阜に戻り、現在の場所にクリニックを開いた。「それまでずっと屋根のない駐車場でしたが、ここに移ってからは屋内保管になりました。外に出るのは往診のときだけですから、まさに"箱入り娘"ですね」。
「私はクルマのことは詳しくないから」と、とくにこれといってメインテナンスはしないという中根さんだが、自身での手洗い洗車は欠かさないという。「自分の手で洗えば傷などもよくわかりますからね。患者さんを診るのといっしょですよ」。
中根さんがアクセルペダルを踏むと、実にスムーズにビートルは発進した。おや、左足を動かしていない!? 実はこのビートルには「スポルトマチック」と呼ばれるセミオートマチックが搭載されていて、クラッチ操作は不要。でも、シフト操作はドライバーが行う。L-1-2の3速だが、ふだんは1速と2速だけで事足りるそうだ。
ただ、長らくビートルの面倒を見てくれたメカニックが引退し、これからどこでメインテナンスしたらよいか不安だという中根さん。人もクルマもかかりつけ医が大切というわけだ。「オートマチックの部品が壊れたら治せないといわれているので、それも心配です」。
「マニアックなことは知りませんが、いままでずっとワーゲンを大切に使ってきました。それがたまたま長くなっただけです。もちろん、このままずっと行きますよ!」
中根さんは1942年生まれの72歳。岐阜市で整形外科クリニックを営むドクターである。デスクのミニカーは患者さんからプレゼントされたものだ。
「交通事故に遭ってここを訪れる患者さんとは、このミニカーを使って事故当時の様子を確認するんです」。
そんな使われ方をするビートルのミニカーは他にはないだろう(笑)
中根さんがここにクリニックを開いて35年になるが、当時から往診用にビートルを使っている。痛みなどで来院できない患者さんのために週に10件くらい往診に出かけるという。
中根さんがここにクリニックを開いて35年になるが、当時から往診用にビートルを使っている。痛みなどで来院できない患者さんのために週に10件くらい往診に出かけるという。
「患者さんは、私が往診にやってくるのが音でわかるんです。それを楽しみにしている人もいるくらいですよ」。
患者さんのあいだでは「ワーゲン先生」と呼ばれているに違いない。
1971年7月に水色のビートルを新車で購入。「結婚したあとに買ったから、嫁さんの次に付き合いが長いんですよ」とにこやかに語る。ナンバープレートの文字は当時のままで、「岐55」が歴史の長さを物語っている。
当時勤務医だった中根さんがビートルを買った理由は単純明快。「リヤにキャリアをつけてスキー板を立てて走るのに憧れてね(笑) そのころはスカイラインが流行っていて、このワーゲンも同じくらいの値段がしました。当時の上司がドイツ帰りで、その人の影響はありましたね。学生時代のアルバイト先の先生がワーゲンに乗っていたのも関係あるかもしれません」。
実際、スキーにはよく出かけたそうで、「後輪駆動なので雪道は安定して走ることができました。ただ、当時は金属チェーンだったので巻きにくくてね」。
仕事の都合で、一時、愛媛に移り住んだことがあった。「引っ越しのときは、大きな荷物はトラックで送り、このワーゲンに家族とテレビを載せて松山まで走っていったのを今でも覚えています。意外に荷物がたくさん積めるんですよ。あのころは子供を連れてよく走りました。四国にいるときが一番楽しかったなぁ」。
その後、岐阜に戻り、現在の場所にクリニックを開いた。「それまでずっと屋根のない駐車場でしたが、ここに移ってからは屋内保管になりました。外に出るのは往診のときだけですから、まさに"箱入り娘"ですね」。
購入以来、大きな故障は一度もないという。唯一のトラブルは「夜中に名神高速を走っていたらライトが暗くなったことがありました。"ダイナモ"のブラシが摩耗して、発電しなくなりましたが、困ったのはそのときくらいです」。
20年ほど前にオールペンなど、リフレッシュを行った。「嫁さんの希望でボディを"茄子紺"に塗り替えました。その際、必要なパーツを世界中から寄り寄せて整備しました」。そのとき、錆びて色褪せたナンバープレートを同じ番号でつくりかえてもらったという。「だから、ナンバーもきれいでしょう」。
「私はクルマのことは詳しくないから」と、とくにこれといってメインテナンスはしないという中根さんだが、自身での手洗い洗車は欠かさないという。「自分の手で洗えば傷などもよくわかりますからね。患者さんを診るのといっしょですよ」。
この日は中根さんと束の間のドライブを楽しんだ。オドメーターの数字は4万だが、実際は3周目の24万kmだ。エンジンをスタートすると、独特の乾いたサウンドがガレージにこだまする。エンジンの調子は良さそうだ。
中根さんがアクセルペダルを踏むと、実にスムーズにビートルは発進した。おや、左足を動かしていない!? 実はこのビートルには「スポルトマチック」と呼ばれるセミオートマチックが搭載されていて、クラッチ操作は不要。でも、シフト操作はドライバーが行う。L-1-2の3速だが、ふだんは1速と2速だけで事足りるそうだ。
走り出すと、三角窓から外気が流れ込み、少しくらいの暑さならこれでOK。しかし、流石に真夏は後付のクーラーのお世話になる。「赤信号で停まったときにはクーラーを止めます。そのままだとエンストしそうなので。走り出したあと、タイミングを見計らってクーラーを入れれば問題ありませんよ」。
ただ、長らくビートルの面倒を見てくれたメカニックが引退し、これからどこでメインテナンスしたらよいか不安だという中根さん。人もクルマもかかりつけ医が大切というわけだ。「オートマチックの部品が壊れたら治せないといわれているので、それも心配です」。
そんな話をしながら長良川の川岸まで進み、岐阜城が見える場所を選んで記念写真を撮った。
「マニアックなことは知りませんが、いままでずっとワーゲンを大切に使ってきました。それがたまたま長くなっただけです。もちろん、このままずっと行きますよ!」
"ワーゲン先生"の茄子紺色のビートルは、今日も岐阜の街を元気に駆けぬける。
(Text by S.Ubukata)