画像: 1981年「アウディ・クアトロ・グループ4/A1グループB(手前)」と、バトルを繰り広げた「1984年ランチア・ラリー037(奥)」。

1981年「アウディ・クアトロ・グループ4/A1グループB(手前)」と、バトルを繰り広げた「1984年ランチア・ラリー037(奥)」。

ドイツの名脇役、トリノで名演

「ザ・ゴールデン・エイジ・オブ・ラリー」は、イタリアのトリノ自動車博物館(MAUTO)で2022年10月にオープンした企画展である。

コレクションは、ラリーナビゲーター、実業家そして時計デザイナーとして活躍したジーノ・マカルーソ(1948-2010)によるものだ。

トリノに生まれたマカルーソは、早くも学生時代フィアットのファクトリーチームに抜擢された。それだけでなく、1972年から74年にかけてナビゲーターとして、欧州ラリー選手権、ミトローパ・カップ、イタリア・ラリー選手権を制した。トリノ工科大学卒業後はスイス高級時計業界に入り、ブランパンやブライトリンクの代理店業務を立ち上げる。続いてジラール・ペルゴに資本参加ののち、92年には44歳で同社の会長に就任した。さらにマニュファクトゥール時計の業界団体SIHHの会長も務めた。

画像: ジーノ・マカルーソ photo : Fondazione Gino Macaluso per auto storica

ジーノ・マカルーソ photo : Fondazione Gino Macaluso per auto storica

画像: マカルーソのラリー・グッズコレクションから。タグ・ホイヤー製ストップウォッチ。

マカルーソのラリー・グッズコレクションから。タグ・ホイヤー製ストップウォッチ。

その傍らで自動車への情熱も絶やさず、FIAのカート部門や自身で結成したジュニアWRCチームを通じて後進育成に尽力した。

今回展示されたのは、1960年代から90年代初頭までの歴代ラリーカー19台である。プジョー博物館から借用した205ターボ16を除き、生前のマカルーソが丹念に収集したものだ。

ラリーカーが20世紀において、技術発展、手作業の伝統、そしてアヴァンギャルドなデザインの融合であったことを示すのが企画展の目的である。
近年におけるMAUTOの企画展では、最高の人気のようで、開催初日は数百メートルの待ち列ができたという。

画像: 1969年「フォード・エスコートRSミキ(左)」と「1970年ポルシェ911S(ST) (右)」。

1969年「フォード・エスコートRSミキ(左)」と「1970年ポルシェ911S(ST) (右)」。

展示車のなかには、2台のドイツ発祥ブランドが含まれている。1台めは1970年の「ポルシェ911S」だ。71年にB.ワルデゴール&L.ヘルメール組によって、スウェーデン・ラリーで4位、RACラリー・オブ・グレートブリテンでは2位に輝いたマシンそのものである。

筆者が気になったのは、解説板に「(ST)」と但し書きがあることだった。STといえば、ポルシェが1970-71年にラリー用に開発した車両で、極めて少数が生産された幻のモデルである。2022年には、そのネーミングを復活させるという現行911ベースのバリエーションが欧州のメディアでスクープされたのも記憶に新しい。

マカルーソの子息で企画展の監修者を努めたステファノ氏は、こう解説する。「このクルマは、911Sとしてグループ4に競技登録されました。しかし実際には、STに極めて近い仕様で造られています。一切市販されなかったモデルです」

画像: 911Sとしてグループ4のホモロゲーションを受けているが、実際には限りなくSTに近く仕上げられている。

911Sとしてグループ4のホモロゲーションを受けているが、実際には限りなくSTに近く仕上げられている。

当時FIAは規定を変更し、ホイールアーチ幅を2インチ追加することを許した。この展示車両もリアフェンダーがノーマルのSよりも膨らんでいる。「後年の量産911でリアフェンダーが次第に強調されてゆく起源は、まさにここにあるのです」とステファノ氏は、ラリーはカーデザインにも貢献を果たしたことを強調する。

画像: ステファノ・マカルーソ氏。フリーランスの時計デザイナーとして活躍する傍らで、父の名を冠したジーノ・マカルーソ歴史自動車財団の役職も務める。父が愛用していたヘルメットと(右上)。

ステファノ・マカルーソ氏。フリーランスの時計デザイナーとして活躍する傍らで、父の名を冠したジーノ・マカルーソ歴史自動車財団の役職も務める。父が愛用していたヘルメットと(右上)。

画像: 後年リアフェンダーが膨らんでゆく萌芽も見ることができる。

後年リアフェンダーが膨らんでゆく萌芽も見ることができる。

もう1台は、ワークスチームによる1981年「アウディ・クアトロ・グループ4/A1グループB」である。S.ブロンクビスト/B.セダベルグ組が駆った1982年サンレモ・ラリーをはじめ、グループBに適合させて「A1」となった83年以降も含めて、4回にわたり優勝した車両だ。

画像: このクアトロは、当初グループ4用に開発され、のちにA1としてグループBに参戦した。左奥に見えるのは1978年「フィアット131アバルト・グループ4」。

このクアトロは、当初グループ4用に開発され、のちにA1としてグループBに参戦した。左奥に見えるのは1978年「フィアット131アバルト・グループ4」。

画像: 1981年アウディ・クアトロ・グループ4/A1グループBのコクピット。

1981年アウディ・クアトロ・グループ4/A1グループBのコクピット。

今回の企画展の主役は、やはり土地柄イタリア発祥のブランド、すなわちランチアとフィアット-アバルトである。それらは、企画展のもうひとつのアピールであるトリノ自動車産業のラリー界への貢献とも合致する。

しかし、筆者が考えるに、ドイツのライバルたちが彼らに寄与したものも無視できない。

1970年代に入っても「フルヴィア・クーペHF」に頼っていたランチアを、リア・ミドシップの1973年「ストラトス」の開発に注力させたのは、新しい競合車たちだった。その中にはポルシェ911もいたに違いない。

そのランチアは、82年シーズンでクアトロに惨敗したあと、アバルトとともにミドシップ後輪駆動のラリー037を開発。翌83年に投入してタイトルを奪還する。闘争心は、4輪駆動のデルタS4にも受け継がれる。一連の流れは、クアトロがハイスピードAWDという概念をラリー界に持ち込まなければ生まれなかった。

最終的にランチアはWRCで1974-76年に続き、80年代から90年代初頭に3回もマニュファクチュアラーで優勝する。フィアットも77、78、80年に優勝を勝ち取っている。当時のスポーティーなイメージは、彼らにとって今日まで大きな遺産である。

「あなたがいたから僕がいた」というのは1970年代の歌謡曲におけるタイトルだが、トリノのブランドは、アルプスの向こうのブランドたちがいたからこそ輝いた。ゆえに911Sとクアトロは、この企画展における名脇役なのである。

企画展「The Golden Age of Rally」は2023年5月3日までトリノ自動車博物館(MAUTO)で開催。
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画像: 会場には往年のドライバー/コ・ドライバーたちのレーシングスーツも展示されている。

会場には往年のドライバー/コ・ドライバーたちのレーシングスーツも展示されている。

(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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