コンクール・デレガンス、つまり自動車のエレガンス・コンクールというと、戦前の重厚長大な車や1960年代GT黄金期のモデルを想像する人が多いだろう。

だが多くの主催者は、参加できる車の年代を年々アップデートしている。

画像1: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

毎年5月末にイタリア北部コモ湖畔で催される「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」は第1回を1929年に遡る。現存する世界最古のコンクールである。

このイベントも、参加車の年代を毎年若返らせている。その方針は、近年のモデルの自動車史における定義付けを促すとともに、イベントをより活気あるものにしている。

誕生90回を迎えた2019年のコンコルソ・ヴィラ・デステは、5月25〜26日に開催された。

画像2: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

8クラス49台のエントラント中、最も若いモデルは、1988年ポルシェ959であった。

「Baby You can Drive My Car:ミュージカル・スターのクルマたち」と名付けられたクラスに、元エルヴィス・プレスリーのBMW507や元エルトン・ジョンのアストン・マーティンV8などと参加した。

この959は、20世紀後半を代表するオーケストラ指揮者のひとり、ヘルベルト・フォン・カラヤンの車だった。サン・モリッツの山荘で使用されていた。

画像3: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

カラヤンは自動車愛好家としても知られていた。ヴィラ・デステの公式図録に記されているものだけでも、フェラーリ275GTB、ランチア・ストラトス、BMW507、フォードGT40、メルセデス・ベンツ300SL、そしてロールス・ロイス・シルバークラウドが車歴として記されている。

ただし彼が最も心酔していたブランドがポルシェで、そのファン歴は30年に及んだ。

カラヤンが手に入れたシャシーナンバー00126の959は、他の291台の同型車と異なり、フェラーリ・レッドの外装と、レザーでなくファブリックによるシートが本人のオーダーにより与えられた。

画像4: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

「カラヤンは、操縦時のホールド性を最重視したのです」と、現オーナーのジョヴァンニ=アンドレア・イノチェンティ氏(写真右)は筆者に語る。

画像5: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

そのイノチェンティ氏はスイス在住。ランチア・フルヴィアで運転の楽しさを知り、メルセデス・ベンツ2.3-16などを経て、32歳のとき出会った911SCでポルシェの魅力にとりつかれたという。「ポルシェをたとえるなら女性。常に美しい」と絶賛する。

今回のヴィラ・デステで、カラヤンのポルシェ959は、前述のクラスにおける選外佳作賞に輝いた。

画像6: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

筆者は高校3年だった1984年、東京の普門館ホールで聴いたカラヤン指揮・ベルリン・フィルハーモニー公演を思い出した。当日演奏されたブラームスの交響曲2作品は、いずれもドイツ・ロマン派の艶とカラヤンらしい重厚さが交じった響きだった。

その年カラヤンは76歳。にもかかわらず40〜50分にわたる大作を一晩で2曲指揮したわけである。その漲るエネルギーがあったからこそ、その4年後80歳にして450hp/500Nmを誇る世界最速の量産車を御することができたに違いない。

カラヤンは959を手に入れた翌1989年に世を去る。つまり事実上“終(つい)のクルマ”となった。今年のヴィラ・デステの総合テーマ「THE SYMPHONY OF ENGINES」のごとく、自動車趣味の最終楽章として、フラット6が奏でるシンフォニーに身を委ねていたのだろう。

画像7: 名指揮者カラヤン・終のポルシェ

いっぽう筆者の自家用車といえば、製造後10年を経てダッシュボード各部から軋み音が激しくなってきた。住まいがあるイタリアの劣悪な舗装による振動が影響しているのは明らかだ。しばらく前からはエアコン吹き出し口からもキュルキュルと不思議な回転音が聞こえてくるようになった。

それらによる不協和音に包まれながら「もしカラヤンを乗せていたなら、5分もたたぬうちに降りていっただろう」などと想像する今日このごろである。

(文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=Akio Lorenzo OYA、大矢麻里 Mari OYA)

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