東京を訪問するたび楽しいのは、都市のめまぐるしい変容ぶりである。新しいビルが建設された場所では、かつて同じ場所に何があったか、とっさに思い出せない。筆者が四半世紀にわたって住むシエナに、中世ルネサンス絵画に描かれているのと同じ館が現存するのと好対照である。
「変身物件」の楽しみ
東京では、もうひとつ楽しみがある。ビルの全体や一部から、昔のテナントや用途を思い出すことだ。世田谷区の環状8号線沿いにある隈研吾設計の「M2」ビルは、その一例である。今日では斎場だが、もともとは自動車ブランド「マツダ」の情報発信拠点として建てられたもので、筆者も足繁く通ったものだった。
都心の家電量販店では、階段やエスカレーター付近の豪華な石使いを見るのが好きだ。陳列された最新ハイテク商品と似合わないそれは、かつてビルが一流百貨店だったことを無言のうちに物語っている。
思えば、そうした筆者のウォッチング趣味は少年時代から始まっていた。東京郊外の実家近くにあったスーパーマーケットは、1970年代前半に大流行したボウリング場を改装したもので、売り場の床が奥に向かってなだらかに傾斜していた。レジ背後の一段高いペット用品コーナーは、もとはといえばレーンに降り立つ前の身支度や休憩用スペースだった。
そのような変身物件ファンの筆者にもかかわわらず、以前の姿を即座に思い出せなかった物件に遭遇した、というのが今回の話である。
EV時代の最新設備付き?
ポッジボンシは、筆者が住むシエナから30kmほどの場所にある。第二次世界大戦後、周辺の森林資源を背景にした家具製作で栄えた町である。今日では、当時の技術を活かしたキャンピングカー製作が盛んで、イタリア製キャンパーの実に80%という高いシェアを誇る。
2021年冬のことである。そのポッジボンシに1軒の衣料品店が開店していることに気づいた。「キック(KiK)」という格安チェーンである。同社の公式サイトによると創業約四半世紀。本国ドイツでは2700店を展開している。一定規模以上の村や町なら、必ず1店あるといってよい。欧州全体でも12の国と地域に約4000店あるという。
このキック、筆者には他国で数々の思い出がある。ドイツで「ab euro◯◯ (◯◯ユーロから)」と記されたPOPにつられて物色しても、その◯◯ユーロの商品を探し当てるのはかぎりなく不可能に近く、大抵はそれ以上の価格がする商品だった。安売り店の伝統的手法である。
いっぽうで助けられたこともあった。オーストリアのチロル地方で、くるみが手に入ったときは「やはり現地で食べなければ」と思い、村の小さなキックに飛び込んだら、用意してあったかの如く、くるみ割りが置いてあった。
2011年にドイツのデュイスブルクでオペラの当日券を偶然購入できたときのこと。同行していた女房が「突然行くといわれても、服がない」と騒ぎだした。そこで市内のキックに行ってみると、それっぽい服と靴を超格安で入手することができた。
キックが売る商品の値段は手頃だが、モノによっては「安かろう悪かろう」ではないようだ。例のくるみ割は、わが家で今も現役である。女房の靴にいたってはイタリアで退役後に日本の義姉の手にわたり、庭履き用として使われている。10年以上にわたる“長期テスト”を継続中なのである。
ただし、キックはドイツ語圏や経済成長著しい東ヨーロッパでの展開に注力してきたようで、イタリア進出は2017年。店舗数はようやく70に達したところだ。筆者にとっては、ポッジボンシ店が初めてイタリア国内で発見したキックであった。
驚いたのは駐車場である。Audiロゴが入った壁掛け型充電器があるばかりか、アスファルトが敷かれた地面には「e-tron」の文字が記されている。
後日、電気自動車に詳しいイタリア人の知人に話すと「ある意味と当然だ」といい、「ドイツの小売チェーンは、他国の同業者に先駆けて欧州各地の店舗で、駐車場にチャージング・ステーションを設置している」と教えてくれた。たしかに近年、ドイツ系ディスカウント・スーパーマーケット「リデル」「アルディ」は、各国の店舗でチャージャー拡充を進めている。実際、キック・ポッジボンシ店の真隣にある「リデル」にも、2019年の移転オープンに合わせるかたちで普通充電ではあるがステーションが備え付けられた。
ところが、年をまたいで2022年に入り、ふたたびキック・ポッジボンシ店を訪問したときである。あることに気がついた。
忘れ形見だった
ドイツやオーストリアのキック店舗よりも、店内の造りが妙に近代的なのである。限りなく柱が少ない売り場、すっきりとした内装、そしてクルマ1台が通れるようなバックヤードへの広いシャッター……クルマ?
そうだ、ここには以前、Audiの営業所があったのだ! 建物は、それを壊さず改装したものだった。外に出てみれば、ファサードにはAudi時代の、六角形の穴を無数に打ち抜いたアルミパネルがそのまま活用されている。街路との境界に立てられたガラス製の仕切り、3本そびえる旗のポールなども営業所時代の流用だ。一角には、抜き忘れたのか、撤去が面倒だったのか「ショールーム」「サービス」といった案内板もしっかり残っている。そして、前述の充電器と地面の「e-tron」も、Audiの忘れ形見だったのである。
かつてAudi販売店計画に参画した地元設計事務所のウェブサイトによれば、開設は2011年だったという。つまり、10年間Audiの販売拠点だったということになる。
調べてみると、一帯ではAudiの地区販売代理権の移行があった。従来Audiを売っていた販売会社は権利を手放し、代わりに別のショールームで扱っていたフォルクスワーゲンと、新たに代理権を取得したシトロエンに専念することになった。
いっぽう、Audiの権利は、ステランティス系各車やメルセデス・ベンツを手掛けている州内屈指の販売店グループが継承することになった。こうした販売権の移行は、イタリアでは頻繁に起こることである。
地元の人は、そこにAudi販売店があったことなど、すでに忘れてしまい始めているだろう。しかし、筆者には、これからも女房のお供でキックを訪れるたび、Audi時代の名残を探すという、新たな楽しみができた。
(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)