皆さんは「W12」をご記憶だろうか? 1990年代後半、フォルクスワーゲンでイメージリーダー役を果たしたコンセプトカーである。このクルマについては、さまざまな場で語られているので、今回はデザイン開発を担当したイタルデザイン社の視点で振り返ってみよう。
ピエヒからの特命
イタルデザインの資料によると、開発計画の始まりは1997年初夏、フォルクスワーゲングループ会長であったフェルディナント・ピエヒからへのアプローチであった。彼から与えられたミッションは、当時開発中だったW型12気筒5.6リッターエンジンを広く知らしめるためのAWD車だった。披露の場は僅か半年後の10月に開幕する東京モーターショーと指定された。
イタルデザインの創業者であるジョルジェット・ジウジアーロは、長男で当時32歳だったファブリツィオに、その困難なプロジェクトを敢えて委ねた。ファブリツィオはイタリアで一般人が夏のヴァカンスを謳歌している間も作業を進めた。
エクステリアデザインには従来スーパースポーツカーのトレンドであったラウンドシェイプを捨て、シャープで機能に基づいたキャラクターを採用。皮下のメカニズムを暗示すべく、後部にはミドシップ・エンジンが見渡せるグラスエリアを与えた。いっぽう、フロントグラス下端からは前輪のショックアブソーバーとコイルスプリングが見えるようにした。
そうして完成した「W12 Syncro」は、1997年東京ショーのフォルクスワーゲンブースで「W12 Concept Coupé」の名で公開された。続いて約4ヶ月後の1998年ジュネーブ・モーターショーでは、リアドライブのロードスター版が展示された。
実はデザイナーの腕の見せどころ
ファブリツィオ・ジウジアーロは、量産フォルクスワーゲンモデルとのつながりを2つのかたちで実現している。第一は、ディテールのアイデンティティだ。たとえば正方形に近いテールレンズは、生産型4代目フォルクスワーゲン Passat(B5)のそれに倣ったものである。
第二は量産モデル部品の積極的な流用だ。たとえばインストゥルメント・パネルには、「3リッターで100km」の燃費を謳った1998年フォルクスワーゲン「Lupo」のパーツが活用されている。同様の手法は、フェラーリをベースにジョルジェットがデザインした2005年「GG50」にもみられる。そのドアミラーは、実は量産車「Fiat Grande Punto」のものだ。既存パーツを駆使してコストを抑制し、新鮮な提案をすることは、実はデザイナーの腕の見せどころのひとつである。
2001年には、Roadstar同様RWDでありながら排気量を6リッターにパワーアップしたバージョンを制作。同車はW12 Syncroのとき同様、東京ショーのフォルクスワーゲンブースで世界初公開された。
絆を強めたプロジェクト
最終的にW12はコンセプトカーにとどまった。だが、「Phaeton」や「Touareg」でプレミアム路線を邁進していた当時のフォルクスワーゲンブランドにおいて先導役を果たした。
ファブリツィオ・ジウジアーロの職歴においては、初の欧州系大手メーカーとの本格的コラボレーションとなった。その経験が同様に彼のディレクションである2003年の「Lamborghini Gallardo」に活かされたことは、ディテールにおける数々の共通性から確認できる。また、彼の今日に至るライフワークのひとつである短い開発期間も、W12での経験が礎になったのはたしかだ。なにしろ、彼が父親と共にイタルデザインを去ったあと興した「GFGスタイル」による、2023年のコンセプトカー「ラフィット」では、半年弱で5つのボディタイプを造り上げる離れ業をやってのけている。
トリノ郊外モンカリエーリのイタルデザイン社には、一角にBtoBクライアント用の非公開ショールームが設けられている。その限られたスペースは、56年の間に同社が手掛けた膨大なモデルを収めるにはあまりに小さく、展示車両は厳選されている。
そうしたなか黒い2021年W12が、ジョルジェットの元プライベートカー・初代Golf GTI(本連載2016年8月25日参照)」とともに展示されている。それは1974年初代「Golf」に始まり、2010年にフォルクスワーゲングループ傘下(正確にはアウディの一部門)入りに至った歴史で、両社の絆を強固にしたプロジェクトであることを静かに物語っている。
(report 大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA / photo Akio Lorenzo OYA/Volkswagen/GFG Style)