イタリアを代表するヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」が2020年10月22日から25日にかけて開催された。例年5月に催されるこのイベントだが、新型コロナウィルス感染症の影響で、今回は5カ月延期された。410台のエントリーのうち54台が不参加という異例の事態となったものの、356台がブレシア〜ローマ〜ブレシアの半島縦断ルートに挑んだ。
青いT2救急車
筆者が住むシエナを通過した10月24日土曜日は、あいにくの大雨となった。だが、水滴をまとったヒストリックカーと濡れた石畳のコンビネーションは、いつもと違う風情を醸し出した。さらに、旧市街の中心であるカンポ広場には、前年度同様チェックポイントを兼ランチ会場が設けられたため、みるみるうちに花畑のごとく参加車が並んだ。
実は筆者自身は、毎年楽しんでいるものがある。特別枠の参加車たちだ。
今年目にとまったのは、青いフォルクスワーゲンT2トランスポーター。それも救急車仕様である。所有者は「ブレシア白十字会」だ。
イタリアの救急隊はボランティア
ここでイタリアの救急車事情について解説しておこう。
今日この国で救急搬送業務の約80%は、さまざまな慈善団体によって運営されている。その伝統は自動車誕生以前からだ。もっとも古いもののひとつは「ミゼリコルディア会」で、その始まりは13世紀中盤にまで遡る。シエナの支部には、かつて患者搬送に使われていた車輪付き担架が何台も展示されている。
今日も乗務しているのは、ドライバーと(最近では別にドクターカーで移動している場合が多いが)医師以外は大半がボランティアである。実際に、筆者が知るメガネ店店主も、自動車セールパーソンも、そしてメーカー指定サービス工場の社長も、勤務時間以外にボランティアを務めている。
研修期間や試験は各団体が独自に定めている。したがって、その対応スキルはかなり隊員によって差があるのが実情だ。しかし彼らに支えられて、イタリアの医療予算は他の欧州諸国より低く抑えられているのも、これまた事実なのである。
各慈善組織は救急車両も含め民間からの寄付で存続しているが、協力する意思がない市民に会費や入隊を促すような同調圧力はない。かといって、隊員になっても特権が付与されるわけでもない。以前前述のひとりに聞いたところ、夏の保養所優待と救急車が待機するステーションまでの往復交通くらいという。あくまでも善意によって成り立っているのである。
ブレシア白十字会も1890年設立と、すでに130年の歴史をもつ団体だ。公式ウェブサイトを確認すると、かつて彼らの車庫にはT1トランスポーター救急車もあったことが確認できる。
参考までに、今日でもイタリアでフォルクスワーゲン トランスポーターをベースにした救急車は、地域によってはフィアット・ドゥカートを改造したものに次いで一般的である。
ミッションを負っていた
いっぽう、今回ミッレミリアに参加したブレシア白十字会のT2トランスポーター救急車仕様は1971年型で、有名ホテルチェーンからの寄贈によるものだ。筆者は見逃してしまったが、昨2019年も参加していた。
T2トランスポーターは、いうまでもなくリヤエンジンである。そのためリア開口部の天地は狭い。今日のキャスター付き担架が載る救急車に慣れた目で昔の写真を見ると、担架をまるで引き出しか何かに入れるようだ。
この車両のトリビアとしては、なんと塗色ごとモティーフにしたHO鉄道模型ジオラマ用ミニチュアカーが、ドイツのヴィーキング社から500台限定で製作されていることだ。
だが、それよりも驚いたことがある。実車はAEDを搭載。装置の使用法も含め応急措置の研修を受けたボランティアが乗務し、ミッレミリア全行程を伴走する役目を負っていたのだった。単なるパフォーマンスではなく、真面目な任務も課されていたのである。
ちなみに、このイベントとブレシア白十字会との関係は他にもある。2020年3月、新型コロナの第一波がイタリア北部を襲った際、ミッレミリアのオーガナイザーは大型仮設医療テントの設営をいち早くサポートしている。
走行中T2救急車がときおりパフォーマンスとして上げるサイレンは、沿道に立つ観衆を興奮させずにはいられない。とくに、子どもたちにとっては戦前の超高級車やグランプリ・モデル以上の人気者である。
「1957年までのスピードレース時代に参加した車、もしくはその同型車」という厳格な規定のため、どこかイベントの風景が定形化しつつある近年のミッレミリア。そうしたなかで、青いT2救急車は、まだまだこのイベントが面白くなる可能性があることを匂わせていたのであった。
(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)