画像: アロイーザ・ルーフさんと「ルーフCTR“イエローバード”」

アロイーザ・ルーフさんと「ルーフCTR“イエローバード”」

路上の武器

現存する最古のコンクール・デレガンスとされる「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」が、イタリア・コモ湖畔チェルノッビオで2024年5月24日から26日に催された。今回は51台が8クラスに分けられ、歴史的意義や美的価値、さらに修復技術などを競った。

ポルシェと、それをベースにしたマシンは計3台が参加。最年長は「もっと速く!路上の武器レース」と題されたクラスに「メルセデス・ベンツ300SL」や「ランボルギーニ・ミウラ」などとともにエントリーした1973年「ポルシェ・カレラRS2.7」だった。

RS2.7についておさらいしておこう。同車はFIAによって1970年代初頭に創設されたグループ4GT規格に準拠すべく開発された。薄いシートメタル、スリムなウィンドー、そして断熱材を不使用とすることなどで、重量をわずか975kgにまで抑えた。最高出力は210psで、最高速度245km/hは1973年時点で西ドイツ最速の市販車だった。

ただしFIA規則では最低500台を生産する必要があった。きわめてスパルタンな仕様に市場があるか疑問視する声が上がったため、ポルシェは販売前からコンバージョンを顧客に提案。これが功を奏し、基本仕様での予約はわずか17台にとどまった。

1972年10月のパリ・モーターショーで発表されると瞬く間に大成功を収め、早くも翌月には500台すべてが売れた。最終的に合計1,580台を製造することで、グループ3GTの要件(12カ月以内に1,000台を生産)さえも達成できた。

今回のカレラRS 2.7は1973年6月に製造されたもので、ヴァイパー・グリーンの塗色をもつ。現在はイタリアのアンドレア・レコルダーティ氏が所有している。

ビデオゲーム時代を象徴する1台

2台目のポルシェは、1988年「959コンフォート」だった。参加したのは「needs for speed:ビデオ世代のスーパーカー・スター」と題されたクラスだ。「欧州大陸の高速移動用というメーカーの意図にもかかわらず、実際にはモンテカルロ、カンヌといった都市でプレイボーイの道具として使われた。実際の車両パフォーマンスが発揮されたのは、ビデオゲームの中だけだった」というのが、その解説である。

1983年のフランクフルト・ショーで、グループBラリー規格を目指したコンセプトカーを起源とする959は多彩な革新技術が込められていた。インテリジェント4輪駆動システム、軽量ケブラー複合材およびアルミニウム製のボディパネル、中空マグネシウムホイール、ダッシュボード上で車高コントロールも可能な電子制御サスペンションなどがその例である。

42万ドイツマルクというプライスタグ —−ポルシェは959を1台売るごとに損失を出していたという−− が付けられていたにもかかわらず、グループBホモロゲーション達成に必要な200台を上回る292 台が売れた。

すべての959は1987年から1988年にかけて出荷された。より軽量な959Sをオーダーしたのは29人の顧客だけで、大半はエアコン、革シートなどが含まれたコンフォート仕様を選んだ。

今回の参加車もコンフォート仕様で、1988年にピアニスト兼指揮者そしてテレビ司会者であるユストゥス・フランツ氏(1944年- )に納車された個体である。ダークブルー外装+ネイビーブルー内装の組み合わせは唯一といわれ、クラスにおける選外佳作賞に輝いた。

イエローバード

3台目は、1987年「ルーフCTR“イエローバード”」だ。前述の959コンフォート同様、「ビデオ世代のスーパーカー・スターズ」にエントリーした。コンストラクターとしてルーフの名を世に知らしめた1台である。

CTRとはグループCツインターボ・ルーフの略だ。エンジンは1987年911カレラ3.2用をベースに、ターボ2基で最高出力469psにまで強化されている。ルーフ社はポルシェから購入したボディシェルで計29台のCTRを製作した。

ナンバープレートMN-P 911をもつ今回の参加車の持ち主は誰あろう、社主のアロイス・ルーフ氏だ。昨2023年は、かつて18歳のとき自力でリビルトした「901クイックブラオ」で参加した彼が、ヴィラ・デステに戻って来たのだ。

8speed.netの記事を読んでいたルーフ氏は、快くインタビューに応じてくれた。

「この車両は初期のプロトタイプです。自動車雑誌『ロード&トラック』誌が主催するイベントで最高速度339km/hを記録し、『世界最速の市販車』のタイトルを獲得しました」。そのスピードはポルシェ959、「ランボルギーニ・カウンタック5000S」「フェラーリ・テスタロッサ」、同「GTO」を上回るものだった。

ルーフ氏は続ける。「翌1988年は342km/hに達しました」。こちらの舞台は南イタリアのナルド・サーキットで、959Sより3km/h、フェラーリF40より21km/hも速かった。

「車重は1150kgと超軽量です」。後席や断熱材は取り除かれ、ドア、トランクリッド、シートメタルはアルミニウム製に交換されている。同時にロールバーを追加することで、車体剛性と安全性を向上させている。

パレードには娘のアロイーザさんをパセンジャー・シートに乗せて参加。「自走による最遠来賞」のトロフィーを受け取った。氏にとっては前年のポルシェ901プロトティープ・クイックブラオによる「審査員によるもっとも象徴的な自動車賞」に次ぐ受賞だ。ドイツ・バイエルンからコモまでは約360キロメートル。特筆すべき距離ではないというなかれ。ヴィラ・デステ参加車の大半は有蓋の特殊ローダーに載せられ、スタッフによって腫れ物に触るような扱いで搬入されるのだから。

「操縦感覚は、まさにパンツやジーンズです!」とルーフ氏。その心は?と聞けば「自分の周囲に、いかなる重量も感じさせないのです」と答えた。
他の古典車オーナーと異なり、ルーフ氏の穏やかな表情には、開発したモデルで晴れ舞台に到着した者ならではの満足感が溢れていた。

(report:大矢アキオAkio Lorenzo OYA・photo:大矢麻里 Mari OYA/Akio Lorenzo OYA)

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