2022年夏、筆者が住むシエナのピアッツァ・デル・カンポ(カンポ広場)では、多様なイベントが企画された。7月にはフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団の演奏会が企画され、7月・8月には市民待望の伝統競馬「パリオ」が2019年以来3年ぶりに行われた。その間にも、スクーター「ベスパ」のクラブミーティングなど、小さな催しを毎週のように見ることができた。イタリアにおけるピアッツァ(広場)が果たす大きな役割を再認識した筆者であった。

画像: 2022年6月17日、シエナのカンポ広場に到着したミッレミリア参加車たち。2台の1955年ポルシェ366スピードスターが並ぶ。猛暑のなか、左のドライバーはすかさず日傘を広げている。

2022年6月17日、シエナのカンポ広場に到着したミッレミリア参加車たち。2台の1955年ポルシェ366スピードスターが並ぶ。猛暑のなか、左のドライバーはすかさず日傘を広げている。

“なんちゃって”も出没

振り返れば今夏、一連のイベントの“のろし”となったのは、6月のヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」だった。

画像: 当日のシエナは、最高気温33℃の好天に恵まれた。

当日のシエナは、最高気温33℃の好天に恵まれた。

ミッレミリアは、北部ブレシアから半島を南下してローマに至り、別ルートで再びブレシアに戻るのに3日間のプログラムがとられてきた。シエナは参加車が朝、ローマから北上する第3日目・土曜日に通過するのが慣例だった。しかし近年は会期が4日間に延長されるなど改変がたびたび行われ、2022年のシエナ通過は金曜日となった。

いっぽう変わりないことといえば、わが家の前が参加車のルートであることだ。6月17日の昼前、勇ましいエグゾーストノートが聞こえ始めたので外に出ると、早くも地元自動車クラブのボランティアによる誘導にしたがって、次々と参加車がコーナーを曲がってゆくのが見えた。筆者は、彼らを追うように旧市街へと歩いて行った。

走行音が背後から聞こえてくるたび、振り返ってはカメラに収める。そうしたなか毎年出没して筆者を惑わせるものといえば、“なんちゃってミッレミリア”たちである。参加者でないのに古いモデルで一緒にコースを辿るドライバーたちに筆者が命名したものだ。「アルファ・ロメオ・スパイダー・デュエット」などと並び、「ポルシェ914」も彼らに使われる格好の1台である。何も知らない沿道の市民から手を振られるものだから、彼らはさらに調子に乗ってしまう。

最も華やかな舞台で

シエナのカンポ広場は、ミッレミリアの公式ウェブサイトでも毎年のように写真で紹介されてきたことでわかるように、ルート中で最もフォトジェニックなポイントのひとつである。長年計時ポイントで車両は一旦停止するだけだったのに対して、近年は参加者たちの昼食ポイントとなっている。そのため、色とりどりのモデルが——オイル漏れを受け止めるという、真面目な理由もあるのだが——えんえんと敷かれたカーペット上に並ぶ壮観な風景を鑑賞できるようになった。

2022年の参加車リストに並んだ車両の数は、440台(軍・警察によるゲスト参加車を除く)だった。今回も1977年に現在のラリー形式で開始されて以来の規則にしたがって選ばれた車両たちだ。規則とは、スピードレース形式だった1927〜1957年のミッレミリアに参戦した車両、または同型車というものである

シエナの象徴である煉瓦色の街に、赤いボディが映える。1955年356スピードスター。

当日の最高気温は33℃。「メルセデス・ベンツ300SLガルウィング」のドライバーたちの大半は、広場前の渋滞で低速になると、まさにカモメの翼のごとく扉を開けて車内に溜まった熱を追い出していた。実は300SL(ロードスター含め17台)以上に目立ったモデルがあった。「ポルシェ356」で、その数は25台に及んだ。ちなみに残念だったはオーガナイザーの粋な気配りがなかったことで、今回のカーナンバー356は、1955年「アストン・マーティンDB2/4」に割り当てられてしまっていた。

自社製品名にも現れるクルマ愛

オーナーに声をかけてみようと思いたった。ただし、慎重に見極める必要がある。広告スポンサーが提供した車両に、ただ乗っているゲストの場合があるからだ。近年はさらなる注意が必要である。ドイツを中心に、参加認証済みヒストリックカーとセットのミッレミリア体験パッケージが一部業者によって販売されているためだ。したがって声をかけてみると、長年の愛車ではなく、いわば“レンタカー”だった、ということがある。

画像: カンポ広場で。スイス人カップルが乗る1953年356 1500スーパー。

カンポ広場で。スイス人カップルが乗る1953年356 1500スーパー。

そうした中、明らかにオーナーと愛車の雰囲気を漂わせている356を発見した。詳しくいうと、1956年356A 1600である。オーナーのルイージ・ビゴローニさんに住まいを聞くと、「ブレシアです」と誇らしげな答えが返ってきた。ミッレミリア発祥の地である。

画像: 上品なグリーンの356を発見。エンジンフードには、イタリア古典車クラブ(ASI)の認定車両を示す金色のバッジが輝く。そしてリヤフェンダーには「MANITAL」の文字が。

上品なグリーンの356を発見。エンジンフードには、イタリア古典車クラブ(ASI)の認定車両を示す金色のバッジが輝く。そしてリヤフェンダーには「MANITAL」の文字が。

今回のルート中最も辛かったのは「初日」という。理由を聞けば「車の量が多かったからです」とビゴローニさんは教えてくれた。かつてコ・ドライバーとしてミッレミリアに参加した筆者の経験からしても、初日はまだクルマ、ドライバーとも皆元気なので、車両間の速度差が少ない。ゆえに前後のクルマとともに走ることが多い。

“356の美点は?”との質問に、「他の車がどんどん脱落するような状況下でもトラブルフリーであること。悠々と走れます」と答える。

彼にとってポルシェ車との出会いは、24年前の1998年だったという。「993型、つまり最後の空冷911でした。以来今日まで4台のポルシェをガレージに収めてきました」。

画像: 1956年356A 1600オーナーのルイージ・ビゴローニさん。普段は家庭用ドアハンドル製造会社の社長である。

1956年356A 1600オーナーのルイージ・ビゴローニさん。普段は家庭用ドアハンドル製造会社の社長である。

“あなたにとってポルシェとは?” ビゴローニさんは「高いステイタス、スピード、スポーティーな操縦感覚、信頼性……」といったワードを挙げたあと、こう付け加えた。「永遠の若さです」。

若返り効果は十分あるようだ。ルイージさん、ミッレミリア参加は、なんと今回で6回目であることを明かしてくれた。

家に戻ってから、もらった名刺を頼りにインターネットで調べてみると、ビゴローニさんは、住宅などのドアハンドル(取っ手)を手掛けるメーカー「マニタル」のオーナー社長だった。356ファーラー(パイロット)は、その輝かしい週末の姿だったのである。

公式ウェブサイトによると、マニタル社は1990年の創業から、著名工業デザイナーとのコラボレーションによるモダンデザインの真鍮製ドアハンドルを得意としてきた。2007年にはイタリア工業連盟によって「アワーズ・オブ・エクセレンス」のメイド・イン・イタリー功労賞に選ばれ、著名デザイン賞である「レッドドット・デザインアワード」もたびたび受賞している。また、世界各地の有名高級ホテルのインテリアにも採用されている。

画像: MANITAL S.r.l. www.youtube.com

MANITAL S.r.l.

www.youtube.com

そのサイトの沿革欄に面白いものを発見した。絶版商品らしく残念ながら写真は出てないが、「ル・マン」「デイトナ」といった商品名が綴られている。いずれも24時間レースにおいてポルシェが活躍した舞台だ。創業僅か4年目の1994年のプロダクトである。クルマに対する情熱が伝わってくる。

今回の結果は148位。97台もがリタイアを喫した(完走343台)のだから、まずまずの健闘といえる。ビゴローニさんが7回目のミッレミリアに参加したら、我が家の前で大きく手を振って歓迎することにしよう。

画像: オフィシャルが記入したチェックカードを受け取り、ビゴローニ社長の356はカンポ広場を後にした。

オフィシャルが記入したチェックカードを受け取り、ビゴローニ社長の356はカンポ広場を後にした。

(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

This article is a sponsored article by
''.