Golf2で洗礼を受け、Golf Cabrioでも巧みな造りに感じ入り、さまざまな関連文献を読み漁るウチに、初代Golfへの興味は募るばかり。
世紀末だった当時は、町中で初代を見かけることはほぼないながらも、探せば中古車市場には見つかるような状況だった。
価格も今ほどべらぼうではなく、GTIは別として、100万はしない個体がほとんど。
ただ、そうやって目にする車両や情報は、白や黒のボディカラーが多かった。
初代のカタログを見ていると、なんともカラフルなボディカラーが楽しげに踊っていて、レモンイエローやグリーンも小さな初代Golfにはとても似合っていたので、そんな色のついたGolfがいいなぁ、とは思っていた。
ある時は、カーグラフィック巻末の「売買コーナー」に初代GTIが売りに出ていて、横浜まで見に行ったことも。
そのクルマは既に買い手がついていて、見学だけに終わったのだが、著名なプロショップにて徹底的なレストアを受け、最高の状態に蘇ったのを記事で拝見、床も錆びてボロボロになってたようで、とても私みたいな素人の手に負えるクルマでは無かった。
そうこうしているうちに、今度は知人経由で初代Golfを格安…なんと10万円で譲りたいという人がいる、という夢のような報せが舞い込み、私は一も二もなく買うことに。
しかし、その2ドア、3速オートマのGolfは、やって来たのも束の間、一週間だけ手元にあり、すぐにまた次のオーナーの元へ旅立って行った。
そう、余りにもコトを急ぎ過ぎ…「家庭内コンセンサス」の手順をすっ飛ばしたのが悪かった…。
そんな訳で、泣く泣くその白いGolfを大洗港まで運転、フェリーの無人航送というサービスで北海道の友人に譲った。
去りゆく船を見送りながら心に誓った。
次なる出会いは、きちんと手順を踏んで迎えよう、と。
それから数年を経た2002年のある日、その出会いはなんの前触れもなく訪れた。Cabrioで近所を走っていると、沿道のとあるクルマと目が合ったのだ。
その頃私は、東京の目黒に住んでいた。
目黒通りは、輸入車ディーラーが多く、スーパーカーやラグジュアリーカーがゴロゴロしてるエリア。
そんな目黒通りの環状8号線付近に、旧いフォルクスワーゲンが並んでいるお店があって、ときどき初代Golfも佇んでいた。
前述したカラフルな初代を見かけることはなく、いつもは横目で見ながら通り過ぎていたのに、その日は強力な視線を感じ、いや、こちらの目が奪われたのだけど、なんとも愛らしいミズイロの初代Golfと目が合ったのだ!
一旦通り過ぎた私はすぐさまUターン、早速そのクルマを見せてもらった。
ボディは明るい水色、ぱっと見は錆もなく「良さそう」に見える。
覗き込むと、エクステンションで伸ばされた頼りなげなシフトノブが生えている。
おお!マニュアルだ!
リヤのバッジにはGOLF Eとある。
エンジンをかけてもらうと、問題なく始動。
オドメーターは、前のオーナーさんが「10万キロ乗ったら手放そう」と決めてたのか、超えて少しの距離が刻まれていた。
その日に手付金を払ったのか、家に帰って家庭内稟議に持ち込んだのか、その順序は忘れてしまった。
「増車?何言ってるのアナタ!?」と怒られるのを半ば覚悟しながら、いかにこの出会いが運命的…と言いかけると「買えば?」と言われたのは覚えている。
こうしてフロリダブルーと名づけられたボディカラーの、ミズイロGolfとの暮らしが始まった。
1980年式Golf E、1600cc 4MT、右ハンドル、サンルーフ付き。
初代Golfには大きく分けて前期型、後期型とあり、1980年式は前期型に属する。
外観上の大きな違いはテールランプの形状。
前期型はCabrioにも使われている小さなタイプ。
頼りなげな感じが、初代っぽくて私は好きだ。
中古車を手に入れたことがある人は「わかる〜!」かも知れないが、乗り始めてしばらくの間、新しいオーナーはそのクルマに”試される”。
運転の癖が違ったりするのが原因なんだろうと思われるが、色々と起きるものなのだ。
こちらとしても、いきなり遠出は不安なので、クルマと信頼関係が築けるまでは、問題点の洗い出し期間と割り切って付き合うのが良いと心得ている。
さて、ミズイロ号、購入時101187km。
すでに車齢は22歳。
手放す決心をした前オーナーが、最後に重整備をするはずもなく、諸々気になる点が散見されたのも無理はない。
当時の記録を見ると、購入後400kmでスピードメーターケーブルが切れていた。
こういうのって、ほんと不思議。
そして、ダッシュボードも振動がひどく、隙間という隙間に硬く折られた広告の紙が挟まっていたけれど、エンジンマウントが限界だったようでルームミラーもぶるぶる…後ろがよく見えない。
さらには、タコメーターも針が踊っている。
切れてしまったスピードメーターケーブルは「在庫なし」で、いきなり途方に暮れたが、ちょうどそのとき、「解体車が出たぞ!」という報せを聞きつけ、佐賀県は鳥栖まで部品を取りに行ったりもした。
このとき、先々壊れそうなプラ製パーツなどもゲット。面白いことにミズイロ号のグレード”GOLF E”は、なんと「グローブボックスのフタ」がオプション設定というエコノミー仕様!
車検証入れも丸見えで、なんとなく落ち着かないので例の解体車から外した部品を早速活用した。
結局、購入後すぐにフォルクスワーゲンの港北カスタマーセンターへ入庫、2ヶ月ほどかけてエンジンマウント、ダンパー、アッパーマウントにタイロッド、クラッチやデスビキャップその他諸々交換。
調子悪かったタコメーターは、日本計器サービスで修理。
戻ってきてしばらくすると、こんどはバックギアのスイッチがダメになり、後退時のランプが点かなくなるなど、ちょいちょい出るトラブルをひとつずつ潰していった。
こういうのを読むと「旧車はやっぱり大変だなぁ」と思われるかも知れない。
では、完全にお手上げになるかと言えばそうでもない。
世界中に好きな人がいる初代Golfは、探せばなんとか部品が見つかるし、ゴム類のような消耗品をきちんと替えれば、新車のようにビシッとする。
この辺り、骨格のしっかりしたドイツ車らしい。
手はかかるけど、それも含めて愉しめるのであれば、ヘリテージカーを日常使いすることも叶わぬ話ではない。
なにより、ガレージにジウジアーロ・デザインの初代Golfがいるだけで心が踊る。
このときから今日まで、さまざまな出来事を乗り越え20年以上一緒にいるけれど、飽きるどころか、愛着は深まるばかり。
次回は、ジウジアーロ・デザインの秘密や、初代Golfとの日々に待ち受けていためくるめくドラマについてお話しできれば…。
なぜそんなにGolfが好きなのか、そんなにGolf好きだと人生どうなっちゃうのか。折しも、Golf誕生50周年の節目にあたる2024年にスタートした、私の狂ったGolf愛を語り尽くす【Liebe zum Golf / リーベ ツム ゴルフ(ゴルフへの愛)】。熱く、深く、濃く、という編集方針に則り、偏愛自動車趣味の拙文を綴ります。