イタリアを代表する自動車都市トリノの自動車博物館(MAUTO)は近年、さまざまな企画展を積極的に開催している。中心となっているのは、フェラーリの広報などを経て2018年に就任したマリエッラ・メンゴッツィ館長と、著名な自動車歴史家を含むアジャンクト・キュレーター(非常勤学芸員)たちである。

同館では2022年1月23日まで、「カティ・トルタ〜ある自由なアーティスト」と題した企画展が催されている。 現代美術画家として活躍した彼女の生誕100周年(+1年)を記念したものである。

会期は当初2011年11月までだったが、2022年1月23日まで延長された。(MAUTO
提供)

カティ・トルタ(本名カテリーナ・トルタ)は1920年トリノでブルジョワジー、つまり中産階級の家に生まれた。わずか12歳で最初の絵画作品《牛たち》を独学で描いた彼女は、その後トゥーリオ・アレマンニ、フェリーチェ・カゾラーティに師事。自身のネオ・フトゥリズモ的作風を確立してゆく。参考までにトリノは、イタリアにおけるフトゥリズモ(未来派)芸術家の活動拠点であった。

作品は次第に高く評価されるようになり、1958年にはフランスで「芸術・科学・文学賞」を受賞した。

カティが美術とともに生涯を愛していたのは自動車である。これこそがMAUTOが舞台になった理由だ。

きっかけは、18歳の誕生日祝いに父親から贈られたランチア・アプリリアだった。当時のイタリアで自動車はまだきわめて限られた人々のものだったうえ、ランチアは高級車であった。

にもかかわらず彼女はそのアプリリアで、なんと「ミッレミリア」に出場している。ラリー形式をとる今日のそれと異なり、当時は純粋かつ危険なスピードレースだった。そこに当時数少ない女性ドライバーとして参戦したのである。他にも「サンレモ・ラリー」をはじめ、名だたる競技に数々参加した。

その後カティは美術の都パリを第二の拠点としたが、トリノからの足は常に列車ではなく自動車だったという。彼女はとくにスポーティーなモデルに関心を抱き続けた。フォルクスワーゲン・ゴルフGTIを買い求めたのは57歳の年であった。MAUTOの解説によれば、その熟年女性が卓越したドライビング・テクニックを維持しているのを知らず、路上では闘いを挑んでくる若者たちがいたという。

ちなみにイタリア自動車連盟(ACI)によると、彼女がGTIを購入した年である1977年、自動車登録名義人全体における女性の比率は僅か5.2%に過ぎなかった。

トリノ自動車博物館「カティ・トルタ—−ある自由なアーティスト」会場で。作品とともに、彼女が愛した自動車の同型車が展示された。これは1981年フォルクスワーゲン・ゴルフGTI。

カティは2014年に94歳で他界しているが、晩年も速いクルマへの情熱は絶えることがなかった。2001年に子息のジュリオ-チェーザレ・デノワイエがポルシェを購入すると、カティは81歳だったにもかかわらず、たびたび操縦していたという。ポルシェが常に目指していた「伝統と革新」が、カティが生涯を通じて模索していたものと合致したからであると、解説には記されている。

今回12点展示されたうちの1点、2002年の油彩の題名は、ずばり《ポルシェのミーティングへ》である。2002年の作品であるから、彼女が82歳の年の作品ということになる。

2004年の《セストリエレの夕暮れ》も注目に値する。セストリエレとは、フィアット創業家であるアニェッリ家が開発したスキーリゾートである。雪上でドリフトして遊ぶポルシェが作品の主役だ。

それら2点とも制作当時のモデルだ。自動車画家がたびたび行うように、古いモデルを描いてノスタルジーに耽っていていないところが潔い。

2003年ポルシェ911カレラ(996)。後方にはポルシェとの生活を描いた作品が。

ところで女性画家と自動車といえば、多くの人々が思い浮かべるのは、タマラ・ド・レンピッカ(1898?-1980)による1929年の《緑のブガッティに乗る自画像》であろう。もちろんマン・マシン・エイジを背景としたアール・デコを象徴する作品であることに疑いはない。

ただし、彼女が実際に所有していたのはブガッティではなく、黄色いルノーであったされる。それ以前に、そこに描かれたブガッティはあくまでもタマラの前衛性を示すための、いわばアトリビュートに過ぎない。

対して、カティが描いた自動車には、クルマへの愛情と、それに伴う心地よいスピード感が漂っている。本当にクルマを愛する人物の絵である。

ストリート・アート(グラフィティ)に彩られた都市を表現した1992-93年の油彩《ライティング》からは、72-73歳の年に描いた作品と思えない、スピードへのパッションが伝わってくる。

左は《ライティング》、油彩、1992-93年。右は《ポルシェのミーティングへ》、油彩、2002年。

子息のジュリオ-チェーザレは今回の企画展開催に際し、面白い思い出話をいくつか披露している。そのひとつは、彼が幼い頃、母カティのクルマに乗せられてアウトストラーダを走っていたときのエピソードだ。原因は不明だが、カティのクルマのエンジンから煙が上がったという。それを発見したパトロールカーの警察官は制止して、慌てて彼女にその旨を教えた。しかしカティはこういい放ったという。

「元気なエンジンは、ちょっとばかり煙を吐くものよ!」

女流ドライバーの先駆けの平然とした顔と、警察官の呆気にとられた顔。前述のゴルフGTIのエピソードといい、映画のように情景が浮かぶではないか。

ネオ・フトゥリズモと自動車による、個性的な企画展である。

(文=大矢アキオAkio Lorenzo OYA/写真=Akio Lorenzo OYA、Museo Nazionale dell’ Automobile/Maffione)