35年ぶりの再来

世界的自転車レースのひとつ「第104回ジーロ・ディタリア(ジロ・デ・イタリア。以下ジーロ)」が2021年5月8日から30日まで開催された。

イタリア国内を中心に21ステージ・総走行距離3410.9kmで戦われた2021年は、エガン・ベルナル(コロンビア、イネオス・グレナディアズ)が総合初優勝を果たした。

筆者が住む古都シエナもルートに含まれた。第12ステージである5月20日のスタート地点という設定であった。

隣接県であるフィレンツェ出身のレジェンド的選手アルフレード・マルティーニの生誕100周年にちなんだもので、シエナを通過するのは35年ぶりという。若い世代の市民には事実上初めてのジーロ観戦となった。在住25年の筆者も同じく、である。

街にとっても、ジーロは新型コロナから立ち直る“のろし”となった。

地元の時計店は、オフィシャル・タイムキーパーのTISSOTでウィンドーを飾った。以下2021年5月20日、シエナ旧市街にて撮影。

全23チーム・184人の選手だけでなく、サポート・運営のためにおびただしい数の人員が関わる競技である。彼らが一斉に分散して宿泊してくれた。4月までの移動制限で厳しい経営状況が続いていたシエナのホテルとしては、観光シーズンを前に業務再始動の良ききっかけとなった。

たとえ公式スポンサーでなくても、沿道の店舗は風船や旗でムードを盛り上げた。

筆者が知るホテルも2020年から長いこと門扉に南京錠が掛けられ、廃墟に近い感を醸し出していたものだが、ジーロを機会に営業を再開。ほっとさせてくれた。

オフィシャルではないものの

ジーロにおけるモビリティーパートナーはトヨタが務めている。3年目を迎える今回、彼らは先導車、(各選手に公平にサポートを行う)ニュートラルカー、そしてコース監督用などに50台を提供した。

いっぽう公式モーターサイクルは2009年以来ヤマハで、フロント2輪、リヤ1輪レイアウトのリーンマルチホイーラー(LMW)を多数提供していた。

ただし実際には、メディアや各チームが自ら用意した車両も数々いた。なかでも、フォルクスワーゲン グループ系の車両は、多くの関係者によって採用されていた。

10時過ぎ、別の場所に待機していた選手たちがスタート地点に向かい始めた。レース前はマスク着用がルール。

当日午前10時過ぎ、最初に筆者の目に飛び込んだのは、チーム「アスタナ・プリミアテック」のパサート・ヴァリアントだった。

チーム「アスタナ・プリミアテック」のパサート・ヴァリアント。

続いて放送スタッフが乗った白のT-Rocがやってきた。

放送クルーが乗ったT-Roc。

スタート地点である街の広場「ピアッツァ・デル・カンポ」に向かう選手たちが現れ始めると、招待者を乗せた「アスタナ・プリミアテック」のカラヴェルも滑り込んできた。

「アスタナ・プリミアテック」のカラヴェルは招待者用。

フォルクスワーゲン グループといえばチェコを本拠とするシュコダも目立った。写真はアメリカのチーム「EFエデュケーション・NIPPO」のサポートカー、スパーブ・ワゴンである。スパーブはシュコダの最高級車で、現行モデルは2015年の3代目だ。プラットフォームはMQBを使用している。

ちなみにシュコダは、ジーロと並ぶ世界的ロードレース「ツール・ド・フランス」において、今回のトヨタに相当するオフィシャルパートナーを務めている。機会があったらテレビ等でご覧いただきたい。

午前11時20分、選手たちが出発した。上空では取材用ヘリコプターのローター音も高まる。スタート地点ということもあって、選手たちは1分弱で筆者の目の前を通り過ぎた。

ベルギーのチーム「アルペシン・フェニックス」の選手たちが力強くペダルを漕ぐ。

チーム「バーレーン・ヴィクトリアス」のアウディ A6 アバントも彼らについて走る。ルーフに載せたスペアカーの重量で車高が沈んでいるので、ただでさえ感じるA6の凄みが、さらに増す。

「バーレーン・ヴィクトリアス」のアウディ A6 アバント。

しかしながら会期中毎日ネット配信されるサマリー動画を観て感心したのは、そうしたサポート車両を操るドライバーの操縦技術だ。直前を走る選手たちの自転車に不測の事態が起きても対処できる車間距離を維持しつつ、周囲のサポートカーにも常に注意を払う。そして、必要に応じて一気に追い越しをかける。

筆者個人的には、フォーミュラカーやラリーのパイロット以上に称賛したくなった。

シエナのメインストリートで、ミッレミリアのルートでもあるバンキ・ディ・ソプラ通りを駆け抜ける。

最高の喝采を送ったのは……

やがてそうした隊列の末尾に、別のタイプのフォルクスワーゲン車が2台連なって現れた。

イタリア赤十字の救急車である。T6トランスポーターをベースにしたものだ。

隊列の最後にやってきたのはVWトランスポーターの救急車だった。

話は変わるが、筆者はシネコンであろうと機内上映であろうと、映画のスタッフロールは最後の一行まで観ることにしている。駆け出し編集記者時代、初めて自分の名前が最終ページに載ったのを書店で確認したときの感激を憶えているからだ。

映画制作スタッフのなかにも、初めて名前が載った新人がいるに違いない。そう思えば、本編が終わったあとすぐ帰ったり、スイッチを切ったりできない。

そのような私である。ジーロのスタッフロールを黙々と働きながら締めくくったその2台のフォルクスワーゲンを目撃できたことをうれしく思った。そして彼らに、その日最も大きな拍手を心の中から送ったのであった。

(文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=Akio Lorenzo OYA, Mari OYA)