太宰治の代表的小説「人間失格」の冒頭には、主人公の幼年時代が描かれている。
彼は、駅に掛けられたブリッジを「複雑に楽しくハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだ」と思い込んでいる。
同様に地下鉄も「地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました」と告白している。
だがのちに主人公は、いずれも極めて実利的なものであることを知り、にわかに興ざめてゆく。
いっぽう筆者といえば、いい大人になっても、駅ではラッシュアワーの人波もどこ吹く風、連絡橋から眼下の電車をぼんやり眺めている。パリで自動運転の地下鉄に乗ると、地元の子どもと争って最前列を陣取る。
この調子だから、太宰のように人生の苦悩を深く記すことなど到底できない。
しかし、おかげさまで、いつでもどこでも、乗り物とその周囲に展開される風景が楽しめる。
ゆえに、一般的に「しんどい」とされる飛行機のエコノミークラス移動もあまり苦ではない。
それを支えているひとつは、空港の構内車ウォッチングである。
とくに、筆者が移動することが多いヨーロッパ諸国では、フォルクスワーゲン系が少なくない。
[写真2]はアムステルダムのスキポール空港でのスナップである。
スイスを本拠にしながらも、各国の空港で地上支援サービス(グランドハンドリング)を展開している「スイスポート」社は「up!」を積極的に導入している。冒頭の[写真1]はジュネーヴ、[写真3]はベルリンで撮影したものである。
スイスポートはかつて初代フィアット・パンダやダイハツ車を各地で使用していたが、いずれも絶版(ダイハツの場合は欧州販売を2013年1月で終了)であるため、その代替としてup!が選ばれていると思われる。
ルフトハンザ・ドイツ航空は2018年に、ブランドデザインを28年ぶりに一新。従来の黄&紺から紺&白に変えた。それに伴い、空港構内車も着々とデザイン変更が実施されている。
[写真4]は2010年にデュッセルドルフで撮影したフォルクスワーゲン・キャディ、[写真5]は、2019年にミュンヘンで撮影した新塗色のup!である。
特殊ボディのフォルクスワーゲンも面白い。[写真6]は、ミュンヘン空港のものだ。ハンディキャップがある搭乗者を輸送するため広いキャビンが架装されたT6トランスポーターである。
ところで欧州のハブ空港では、ファーストクラス客をタラップの下からターミナルまで、エコノミー客とは別に運ぶサービスがある。使用されているのは、黒塗りのプレミアムカーだ。
今回、手元にあって実例として紹介できるのは、ロンドン・ヒースロー空港で撮影した他社製モデルの写真しかない。しかし、フランクフルトやミュンヘンでは、ポルシェ・カイエンやパナメーラといったモデルが多数導入されている。
ところで、わが家から最寄りのフィレンツェ空港から日本へは直行便がなく、必ずフランクフルトかミュンヘンを経由する。あるとき、その乗継地でのことだ。
客室乗務員が、他のエコノミー客より先に降りるようにという。なにかの間違いで、万年エコノミー客の筆者も、ファーストクラス扱いか?
窓から地上を見ると、黒いパナメーラが待っている。ワクワクしてタラップを降りた。
地上に下りると、待ち構えていた係員に「Herr.Oya(大矢様)ですね?」と聞かれた。
ところがどうだ、筆者が誘導されたのは、パナメーラではなく、同じフォルクスワーゲングループでも限りなく商用車チックなフォルクスワーゲン・トランスポーター、つまりミニバンであった。
フィレンツェからの飛行機が遅延し、羽田行きまでの乗継時間が1時間もないので、他のお客とは別に筆者だけ運んでしまおうというわけだった。
トランスポーターは構内道路をすっ飛ばすので、室内ではトロリーケースだけでなく筆者の体も、スチールが露出した内装に容赦なくぶつかる。
「お前なんか、この程度のクルマで充分だ」といわれているが如く。
それでも、あの伝説の初代T1 タイプ2の遠い末裔に乗っているかと思うと、許せてしまう。やはり自動車好きの筆者は「人間失格」の主人公よりも幸せである。
(文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)