おじさんよ、熱くビートルを語れ

ヨーロッパ各地で自動車ファンイベントを訪れると、ボクの背後を空対空ミサイルのごとく追ってくる参加者がいる......
けっしてボクに人気があるわけではない。彼らは自分のクルマを取材してほしいのである。実際には、そうした積極派よりも、会場の片隅でまるで「通行人A」のように目立たず佇んでいる参加者のほうが、面白いクルマで来ていたり、エピソードを隠しもっていたりする確率が高い。しかし、ときには例外もある、というのが今回の話である。

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この夏、イタリア中部トスカーナ州のスタッジャ・セネーゼで開催された第29回「インターナショナルVWミーティング」を覗いたときのことだ。あるおじさんが「俺のクルマ、見せるから」と、ボクを離そうとしない。「キター!」と思った。

しかし、間違って真夏に来てしまったサンタクロースのような特色ある風貌に負けた。ちょっとつきあうことにした。歩きながら話を始める。彼の名はアルベルト・フィニスタウリさん。イベントを主催する「マッジョリーノ・クラブ・イタリア」の副会長を務めるかたわら、ふだんはローマの空港で職員として働いているという。


彼の愛車は2ブロックほど離れた駐車場に佇んでいた。

「これが俺のマッジョリーノ(ビートル)だ」

可憐な薄緑の1963年型ビートルだった。

よく見ると、純正・社外品問わず、ボディ各部にレトロなアクセサリー満載である。ウィンドスクリーンの上に付いたサンバイザーは、一見ただの日避けにようだが、「信号の真下に止まったときも、灯火の色をちゃんと反射して教えてくれるスグレモノだよ。これ、アメリカ製な」とうんちくを披露する。

室内も、ヴィンティッジ・ビートルのお約束であるダッシュボードの花瓶はもちろん、古いドイツ車における定番ヴァッケル・ダッケル(首振りダックスフント)、さらにBピラーに付けられた扇風機まで、懐かしカー用品が溢れている。

後席の背後にはフラガール人形が、クルマの振動に合わせて腰をフリフリしている。歌謡曲からトースト・ハワイ(ハワイアン・トースト)まで、南国に対して妙に熱き思いを抱いていた1960年代ドイツを象徴するグッズだ。まさに動く戦後風俗資料館である。


ところで、ビートルの世界に魅せられたきっかけは? するとアルベルトさんは「5歳のときだ」と話し始めた。

「スイスに住んでいた叔父が、ある日イタリアのわが家を、ビートルを運転して訪ねて来たんだ」

敗戦後のイタリアで、国境を越えてスイスで働く人は数多かった。アルベルトさんの叔父は、現地で手に入れたビートルとともに故郷に錦を飾った、というわけだ。

「ビートルがイタリアで人気を獲得する前だよ。わかるか」

アルベルト少年の目に映ったビートルの輝きは、ボクの想像を遥かに超えるものだったに違いない。アルベルトさんは、現在の1963年型にいたるまで、古いビートルばかり代わる代わる20台(!)所有してきたという。

アルベルトさんにとってビートルは少年時代のアルバムであり、彼はボクに、その「動くアルバム」を見せることで、あの日の感動を共有したかったに違いない。

こういう熱いおじさん、大歓迎である。

[冒頭の写真]
アルベルト・フィニスタウリさんと、彼の愛車1963年ビートル。

[中程の写真]
アルベルトさんは「マッジョリーノ・クラブ・イタリア」の副会長でもある。

[後半の写真]
往年のドイツで流行したヴァッケル・ダッケル(首振りダックスフント)。その向かい側では、フラ人形がクルマの振動で腰をフリフリ。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)