イタリア北東部のイモラ・サーキットでは去る9月、恒例のスワップミート『モストラ・スカンビオ』が催された。かつてF1サンマリノ・グランプリの舞台となったコース全周を用いる、毎回4万人以上の来場者で賑わう壮大な車両・パーツ交換会である。
4輪車は、最高のポジションであるスターティンググリッド周辺に展示されるのが恒例。イタリア車に混じって、歴代フォルクスワーゲン車も数々見かける。
下の写真は、ヴィヴィッドなカラーの初代ゴルフである。オーナーが場所を離れていたので詳しい話は聞けなかったものの、車内に残された紙によると「常にガレージ保管」で「ご希望の金額を伺います」とのこと。
G.ジウジアーロによるクリーンでシンプルなデザインは、写真でご覧いただくように、デビュー当時を知らない若い世代にも新鮮に受け止められていたようだ。
一方、冒頭の写真は1991年の2代めゴルフ1.6GTDである。価格は3500ユーロ(約47万円)。フロントスポイラーの下には、GTI 16Vのラジエターグリルも販売されている。抱き合わせで買えば、気分次第で「なんちゃってGTIも可能」という暗黙の提案か。
そんなことを考えていたら、本物のGTIを発見した。1980年の初代である。
15年にわたり所有してきたという現オーナー、ジーノ・マントヴァーニ氏は、モデナで日本ブランド車のサービス工場を営む傍ら、数々のオールド&ヤングタイマーを扱っている人物である。
いっぽうサーキットのパドックには、数々のグッズショップが軒を連ねている。
いにしえのフォルクスワーゲングッズや、そのレプリカを積み上げた屋台を発見したので、声をかけてみた。往年の空冷フォルクスワーゲンタイプ2ファンだったマルコ&サヴェリオは、少し前にクラブを設立。首都ローマを中心に、愛好家を集めてはナイト・ツーリングやプール・パーティを催しているという。
1970年代初頭、フォルクスワーゲン ビートルのカタログやサービス手帳に、この人形は頻繁に登場したものだ。我が国でも当時の輸入元であったヤナセの印刷物で、たびたびお目にかかることができた。
しかし、初代ゴルフに切り替わったころから、彼は徐々に姿を消してしまった。
おかげで後年は「存在した」といっても、ほとんどの人に信じてもらえなくなってしまった。本来世界を敵に回してでもボクを守ってくれるはずの女房からもオオカミ少年呼ばわりされる始末だった。
おかげで後年は「存在した」といっても、ほとんどの人に信じてもらえなくなってしまった。本来世界を敵に回してでもボクを守ってくれるはずの女房からもオオカミ少年呼ばわりされる始末だった。
よくよく調べてみるとこの"フォルクスワーゲン坊や"は"Otto Mechanic"というキャラクターで、近年はそのレトロな風貌を武器に、フォルクスワーゲン純正グッズのカタログにも復活していることが判明した。ボクの屈辱を晴らすため、フォルクスワーゲンには、ぜひこのフォルクスワーゲン坊やをもっと昇進させてほしいと切に願っている。
(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)