欧州のヒストリックカー・ショーで古いフォルクスワーゲンビートルを発見するたび、やれ「スプリットウインドーだ」だの、やれ「6ボルト仕様だ」だの、さらには「七宝バッジ付き」だのと書き綴っている筆者である。しかし......
本当のところは、コレクターズアイテムにまったく該当しない、いわば「変なフォルクスワーゲン」に長年萌えてきたのも事実だ。
人生最初にシビれた変なフォルクスワーゲンといえば、1970-74年に存在した「K70」である(写真は2005年イタリアで撮影)。
この車、ちょっと複雑な経緯をもったモデルだ。
もともとは同じドイツのNSU社が開発を進めていたものだった。同社が社運をかけたロータリーエンジンFWD車「Ro80」を補完するレシプロエンジンの姉妹車としての役割だった。
しかし「Ro80」の低い信頼性から、NSUの業績は低迷。1969年3月、VWの傘下に入ることになる。そのため、最終的にK70はフォルクスワーゲンブランドとして世に出ることになった。
K70の新車当時、ボクが住んでいた町内にK70のオーナーがいた。ビートルがあったわが家は、たびたび見せてもらいに行った。輸入車が今より少なかった頃は、オーナー同士でこんな交流があった。
それはともかく、明るい6ライトのグリーンハウスと繊細なピラーをもつK70のデザインに、ボクは「ウチも次はコレならいいのに」とさえ幼な心に願ったものだ。
だが当時マーケットでは「フォルクスワーゲン=空冷リアエンジン」のイメージが依然根強く、大ヒットには繋がらなかった。K70は1975年1月、パサート/シロッコ/ゴルフといった、のちに成功を収める新世代FWD車にその座を譲るかたちで生産終了してしまう。
少々熱がこもってしまったので、ここからはボクがイタリアに住み始めてから出会った「変なフォルクスワーゲン」をつれづれに。
こちらは初代キャディ。ゴルフ1のピックアップトラックである。ボクは米国工場製の「ラビット・ピックアップ」を知っていたので、まさか欧州で見られるかと思わなかった。写真は2006年にイタリア・シエナの旧市街で撮影したものである。
荷台に巨大なプラスチック製キャノピーを付けた仕様だ。なかば強引ともとれるデザインだが、この背高スタイルが今日のキャディに続いたかと思うと面白い。
ヨーロッパ仕様は旧ユーゴスラヴィア工場製だったが、紛争の勃発で1992年に生産終了を余儀なくされる。いっぽうフォルクスワーゲンによると、南アフリカ工場では2006年までキャディ1が生産されていたという。
フォルクスワーゲンのピックアップ・トラックといえば「タロー(1989〜1997年)もあった。
トヨタ・ハイラックスの姉妹車である。2WD版はハノーファー工場で、4WD版は日本で生産された。写真は2003年のものだ。
Taroとは日本語の太郎である。この車に出くわして、リヤのバッジを見るたび、とんでもないところで日本人に出会ったような、戸惑いと親近感を覚えたものである。
最新はこちら。ドイツ・ミュンヘン空港構内で主にハンディキャップのある人たちを輸送しているミニバスだ。
フォルクスワーゲントランスポーターに民間のボディ改装業者によって大きなバスボディーを載せたものである。より大きなキャビンを実現すべく、全高だけでなくサイドオーバーハングも拡大したおかげで、前から見るとタイヤがほぼ隠れてしまっているのがご愛嬌である。
K70しかり、初代キャディしかり、そしてタローしかり。こうしたクルマたちは誰からもちやほやされることなかった。メーカーも誕生◯周年などと騒ぎたてない。
多くの人が心血を注いで開発や販売に携わったにもかかわらず、である。
トランスポーターのミニバス仕様も、ナンバープレートこそ与えられているが、もしかしたら空港内でその寿命を終えてしまうかもしれない。
そのような哀愁を帯びたフォルクスワーゲンたちだからこそ、個人的にはゴルフGTIよりも心を揺さぶられるのである。
(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)