フォルクスワーゲンGTIカップ・ジャパン2009の第1戦が7月5日、岡山国際サーキットで開催された。そのレース結果は、8speed.netでも報告済み。参戦レポートは、いま丸山さんがコラム"カップカーライフ"に向け執筆中。そこで、オグラは、現在のGTIカップのルーツを語ってみたいと思う。かつて、こんな経緯があったのだ。
フォルクスワーゲン好きでモータースポーツ好きの方なら、ゴルフ2の時代にフォルクスワーゲン・ゴルフ・ポカールレースというのがあったのをご存知だろう。フォルクスワーゲンの輸入元であったヤナセがバックアップ、現在のコックスの前身であるコックススピードが企画運営を行なっていたワンメイクレースである。輸入車のワンメイクということで話題性もあり、有名人の参加もあって、興隆を極めたものの、バブル経済の崩壊や、フォルクスワーゲンの輸入元が現在のフォルクスワーゲン・グループ・ジャパン(VGJ)の前身であるフォルクスワーゲン・アウディ日本(VAN)に移行したこともあって、このレースは'90年代前半になくなってしまう。

フォルクスワーゲン車でのレースが復活の兆しを見せたのは、'99年。この年の9月15日、筑波サーキットで"フォルクスワーゲン・モータースポーツGTIカップ"という名のレースが開催された。企画したのは、現在のフォルクスワーゲン・トロフィ・アソシエーション(VTA)の前身であるフォルクスワーゲン・モータースポーツ・アソシエーション。実は、このレースこそがいまに続くナンバー付き車両によるJAF公認競技のルーツ。"自動車登録番号標付き車両によるレース開催規定"に向けてのトライアルだった。

背景にあったのは、'90年代後半から次第に盛り上がってきた輸入車ユーザーのサーキット走行ブーム。輸入車中心、あるいは輸入車オンリーのサーキット走行会がかなり頻繁に行なわれるようになり、それはやがて、"パンダ・カップ"('97年スタート)や"プジョー205GTIカップ"('98年スタート)など、輸入車ワンメイクのコンビニ・レースへと結びついていく。コンビニ・レースとは、ナンバー付き(車検取得可能)の車両、つまりざっくばらんにいえば、普段は足に使っているクルマで参加でき、しかもJAFの競技ライセンスを必要としない、免許証さえ持ってれば出走可能というという気楽さ、簡単さを表現したもの。いい得て妙だ。ちなみに、いまも続く、ゴルフのコンビニ・レース、ゴルフカップは'99年にスタートしている。

'99年9月の"フォルクスワーゲン・モータースポーツGTIカップ"のその考え方は、明快だった。ノーマルであることを大前提とするワンメイクで、モディファイは基本的に安全面のみ。したがって、マシンはいやがおうにもイコールコンディションとなる。具体的には、自走でサーキットにやってきて、サーキットで競技車両として必須の牽引フック他の指定部品を装着し、競技車検を受ける。もちろん、ロールケージは事前に装着しておかなければならないが、車検証の乗車定員を守るために、サーキットまではロールケージの後半部分を外し、サーキットでその外してあった部分を組み付けるというという方法を採る。そして、レースが終わったら、今度はすべてを元のノーマル状態に戻し、公道を走るための、いわゆる公道車検を受けるという具合。少し面倒ではあるが、クルマはナンバー付きで日常的にも使えること、すなわちレースのためだけに改めてクルマを買う必要がなくなることや、ナンバーなしの場合、サーキットまで運ぶのにキャリアを用意しなければならないなどの諸々を考慮すると、大幅なコスト削減になる。これほど安く公認競技を楽しめるカテゴリーはなかった。まさに、エポックを画したといえるのだ。

おそらく、JAFにしてみれば、バブル崩壊以来のモータースポーツ人口減少傾向に歯止めをかける試みのひとつだったに違いない。それは見事に的中し、実際にこの通称Nゼロ規定が施行された'00年、フォルクスワーゲンでは"ニュービートル・カップ"が、トヨタではヴィッツを競技車両とする"ネッツカップ"がスタートし、翌'01年には大きく盛り上がって一大ムーブメントとなる。大成功を収めるのである。その後、フォルクスワーゲンのワンメイクは、ルポGTIカップ、ゴルフ5のGTIカップと続き、現在のルポGTIも参加できる"フォルクスワーゲンGTIカップ・ジャパン"に至るわけである。

余談ながら、オグラも'02年、フォルクスワーゲンのNゼロレースに参加している。ゴルフ3のGTIで行なわれていた"フォルクスワーゲン・レーシングGTIカップ"にクラシッククラスが設けられ、ゴルフ2のGTIも参加できるようになったことから、これにエントリー。そして、ほぼ毎レース、クラス優勝を果たして、賞品のミシュラン・パイロットスポーツ4本をゲットする。決して、オグラが速かったわけではない。なにせ、クラシッククラスに参加したのはほとんどオグラひとり。完走さえすれば、クラス優勝だったのである。ハハハ、いい思いをした。イヤ違った、いい思い出です・・・。