第1号店オープン時は、同じセレクトショップの大御所ビームス(ユナイテッドアローズはビームス出身者が創業した)とは違った何かしらの志を感じた。商品のセレクトは、やはりビームスが基盤になっているように思えたが、彼らはライフスタイルというか、洋服や身の回りのもの全般を提案しようとしていた。その当時は、米国のアイクベーハーのシャツや、バリーブリッケンのパンツなどが、いわゆる質のいいカジュアルとして販売されていた。
輸入物と自社オリジナルを併売するやり方は、ビームスが既に確立していたが、ユナイテッドアローズのオリジナルは、かなり気負った商品が多かったように感じる。拘りすぎて原価率が高かったのではないだろうかと、今にして心配になった。しかし、新興企業としては、原価を上げてでも勝負したかったのだろう。その気持ちがとても伝わるショップだった。僕がアイクベーハーのシャツを買おうとしたら、オリジナルのシャツを薦められたのを覚えている。あまりにも熱心だったので、オリジナルを買ってしまった。そして、1990年ごろからバーニーズニューヨーク新宿店の開店などが相次ぎ、セレクトショップ戦国時代へと突入する。
当時、学生だった僕には、次々と開店するセレクトショップはとても刺激的で、ユナイテッドアローズやバーニーズに足繁く通った。しかしながら、そんな年頃にそのようなショップで普通に買える訳もなく、殆どが見てまわるだけで、その当時に買ったのはほんの数点である。日頃着る洋服の買い物は、もっぱらアメカジ系のショップや古着屋だった。
アメカジ系といえば、ビームスはもちろん、渋谷バックドロップや、原宿にも雨あられのようにショップが乱立していた(それは現在も同じ)。当時はインターネットなどなく、雑誌だけが頼りで熱心に何冊も読んでショップ紹介を見ては地図を頼りにショップを探した。
その頃、僕の中で輝いていたのは原宿の裏通りにあったラブラドールリトリバー(Labrador Retriever)というとても小さなショップだ。ここには所狭しと、ナイキやニューバランスの別注(フットロッカーなど海外のショップによる別注の並行輸入品)が並べられており、そのスニーカーは驚くほどかっこよく見えた。当時の価格で2万円以上だった記憶がある。結局、最後まで買えなかった。
そのラブラドールリトリバーが引っ越し、明治通りの渋谷より(現在のアメリカンアパレル渋谷店の近く)に引っ越した。業績は順調なようで、スタッフも増え商品の数も増えた。ギャップの並行輸入品(当時は日本法人がなかった)やアイゾットラコステ、ギットマンブラザース、またラルフローレンの並行輸入品を販売していた。その並行輸入のラルフローレンは圧倒的にかっこよかった。
当時のデパートで販売していたラルフローレンは、どうにも垢抜けなく、ただの紳士服だった。しかし、ラブラドールリトリバーで販売しているポロシャツやボタンダウンシャツは明らかにテイストが異なった。まだ一部は米国生産の時代だ。同じ商品はあまりなく、店に並べてあるポロシャツなどを真剣に選んだのを覚えている。この頃のラブラドールリトリバーのセレクトは、今でもmaniacsのバイイングに生かされている。
しかし、いつ頃からだろうか、ラブラドールリトリバーに行かなくなったのは。