その後、僕は相当いい加減な学生時代を過ごし、学校には行かず何だかよく分からないベンチャー企業に出入りしたり、学生企業(当時は大学生の起業が流行っていた、と思う)と関わったりしていた。そんなよく分からない僕の行動を見かねた父が、「山田さんに会ってやりたいことを話してみろ」といってきた。僕は渋々、例の高級ホテルに向かった。
僕は21歳で、まだまだ可能性に溢れていて世間知らずだった。山田さんは、その高級ホテルの日本料理店でランチをご馳走してくれた。当時の値段で8,000円くらいのランチで、随分高級だなと思ったのを覚えている。高級な割にあまり美味しくないなと感じた。これがホテルの食事は割高であまり美味しくないと思い始めたきっかけになった(この話はいつか機会があれば)。
山田さんは食事をしながらこういった。「会社を経営するのは、社員が10人いたら、30人はいると思わないとならないよ。社員にはそれぞれ家族がいる。その人たちにも責任を持つことが大事だよ」と。しかし当時の僕には馬の耳に念仏だった。噛み合っていなかった。
あとから考えると、僕の父が、東京でなにをやっているかよく分からない息子に、東京で成功している山田さんに頼んで、僕の話を聞いて、間違っていれば真っ当な道に向けさせたかったのだろう。しかしそれは、なんだかよく分からないランチで終了した。それが山田さんに会った20年前のことだ。
山田さんに20年ぶりに会って最初に思い出したのは、「社員が10人いたら、30人はいる・・・」という話だった。なぜだか分からないが、まず頭をよぎったのが、その話だった。あれから20年経ち、僕にもいろんなことがあった。経営者の端くれにもなったし、社員が結婚したり、社員に子どもが生まれたりした。20年経ち、山田さんのいってくれたことが、ようやく実感出来る立場と年齢になっていた。
しかし20年ぶりだというのに、僕は当たり障りない話をして、「立派になって」みたいな事をいわれ、それに対して「いえいえ、20年前とあまり変わっていませんよ」となんだか訳の分からない返答をした。山田さんも70歳を過ぎて、今でも会社経営をしているそうだが、当時の迫力はなく、少し小さく見えた。
山田さんと別れたあと、あの話をすればよかったと思い始めた。今の山田さんに、20年前に、あのランチでいわれた意味がようやく分かりましたよ、といえばよかったと。そうすれば、山田さんはきっととても喜んだだろう。そんなこといったかな?なんていいながら、嬉しそうにしたはずだ。なのに、どうでもいい話をして別れてしまった。
わざわざこんな話を書いたのは訳がある。ここ数年同じようなシチュエーションが続いたのだ。久しぶりに会った方々に「ああ、あの話をすればよかった」と思うことが数回あった。今では感謝していますよといえば良かったのに、なぜかいえなかったり、あとで思い出したりした。
だから今後はきちんといえるように頑張ろう、と。でも、そういった事が準備出来るとも思えない。きっとこの後悔はずっと続くのだろう。でも出来るだけ頑張ろう。読者の皆さんも同じようなシチュエーションになったら、ぜひ感謝を伝えてください、なんて書いてて恥ずかしくなった。まだまだ若いか。
だから今後はきちんといえるように頑張ろう、と。でも、そういった事が準備出来るとも思えない。きっとこの後悔はずっと続くのだろう。でも出来るだけ頑張ろう。読者の皆さんも同じようなシチュエーションになったら、ぜひ感謝を伝えてください、なんて書いてて恥ずかしくなった。まだまだ若いか。