フェルディナント・ヤマグチでございます。今回は空冷ポルシェのオーナーさんに直接お話を伺ってきました。

フェルディナント・ヤマグチでございます。今回は空冷ポルシェのオーナーさんに直接お話を伺いました。

モデルは1991年(平成3年)式ポルシェ911カレラ2。

男なら「上がりのクルマ」として持っておきたい憧れのクルマ、空冷ポルシェ。

空冷にはどんな魅力があるのか。そしてまたどんな苦労があるのか。それを知るには実際に乗っておられる方にお話を聞くのが一番です。

ご登場いただくのは、稀代の広告クリエイターとしてその名も高い志伯健太郎さん。海を愛し自然を愛する志伯さんと出会ったのは宮崎の海。

今回、取材に応じていただいたのは、広告コンテストで数々の受賞歴を誇る広告クリエーターの志伯健太郎さんです。

お互いにサーフィンが趣味で、知人の紹介で一緒に波乗りに出かけ、意気投合したという訳なのです。

と……こう書くと、あたかも本チャンのサーファーっぽいですが、私は波乗りを始めた日の浅いド素人。志伯さんは若い頃からライフワークとしてサーフィンに取り組んでおられる本格派。波と自然を求めて葉山に移住されるほど気合が入っている。俄のお前と一緒にすんな!と叱られそうですが、温厚かつ懐の深い志伯さんですから、笑って聞き流してくれそうです。

が、しかし。その温厚な志伯さんでさえ表情を曇らせるのが空冷ポルシェの販売店。

志伯さんの愛車は1991年式の964型のカレラ2。走行距離は現在96000キロとのこと。

志伯健太郎さんの愛車は1991年式のポルシェ911カレラ2(MT)。

歴史のある有名なお店で(店名も聞いているし、頭にきているので書いても構いませんと言われているのですが、ここは自主規制でww)、しかも結構なお値段で購入されたのですが、これがトラブル続きの名車ならぬ迷車でありまして、ガタンと止まって動かなくなってしまったことが1度や2度ではありません。しかもそれが西麻布の交差点のど真ん中とか、首都高速湾岸線の3車線の右側とか、「もっとも止まってはいけない場所」ばかりで止まると言うのです。

「西麻布の交差点で止まった時には本当に焦りました。ポルシェだから......という訳ではないでしょうが、周囲の視線の冷たかったこと。今でも思い出すと冷や汗が出ます。1350kgと車重の軽いクルマだから、何とか自力で押して交差点から脱出はできましたが、みんな笑って見ているだけで助けてくれないんですよ。キャリアカーが来るまでの時間は、“針のむしろ”という言葉がピッタリです」。

30年選手ですからまったく壊れないということはないにせよ、程度の問題はありますよね。

ああ人情紙風船。都会は冷たいです。特にこうした趣味性の高いクルマに世間の目は厳しいです。これがいたいけな軽自動車だったりしたら、周囲の目も人の助けも違っていたのかもしれません。しかしガス欠にでもならない限り、日本の優秀な軽自動車がエンコすることなどはまずありませんからね。

「湾岸線で止まった時も肝を冷やしました。何しろ速度の出る道路でしょう。しかも一番右の追い越し車線。ゆるゆると惰性で走って、なんとか左の路側帯まで辿り着きましたが、深夜だったらヤバかった」。

これもインシデントと呼べる状態です。時間が悪かったらトラックに突っ込まれます。当然怒り心頭で店にクレームを入れる志伯さん。しかし……。

貴重な左ハンドル、MT、964型のポルシェ911カレラ2。「上がりのクルマ」として相応しい車種なのですが、さまざまなご苦労が・・・。

「おざなりの修理はしてくれるのですが、根本的な解決はまったくしない。入庫しては壊れ、また入庫しては壊れの繰り返しです。挙げ句の果ては「お客さん、なにしろ30年前のクルマですからねぇ。それなりにハラを決めて乗らないと」と。言いも言ったり大ゼリフ。

要するに空冷ポルシェは壊れるのが前提で、別に燃えたわけじゃないんだから、エンコくらいでガタガタ言いなさんな、ということです。最低ですね。

「一応この店にはファクトリーがあるんですよ。でもまったく解決しない。仕方がないので友人のツテを辿って評判の良い工場へ持っていきました。なんだかんだと200万円くらいかかりましたが、それから重大なトラブルは発生していません。

カレラ2は愛でるのが専門で、日産リーフで出かけることが多いという志伯さん。

200万と言ったら、何と言っても200万な訳でして、“勉強代”と言うには大き過ぎる金額です。血の授業料を払った志伯さん。空冷は愛でるのが専門で、日産リーフで出かけることがほとんどだそうです。

恐ろしい話を聞いてしまい、ますます腰が引ける不肖フェルであります。

(Text & Photo by Ferdinand Yamaguchi)