111019-8ss02.jpg私が子どもの頃、伯母は水色のクルマに乗っていました。とても活動的な女性で多趣味。どこにでも水色のクルマで颯爽と出掛けていました。
小さなクルマでした。当時の国産車はまだ、今でいうコンパクトカーは少なく、ミディアムサイズ以上のセダンが主流だったと記憶しています。そんななかにあって伯母の水色のクルマはひときわ小さく、しかし強い存在感を放っていました。

伯母は自分の愛車を「クルマ」とは呼びませんでした。いつでも、「明日、ゴルフで迎えにいくからね」とか「表通りにゴルフをとめてきたわ」そういういい方が常でした。クルマ好きだった私は、すでにフォルクスワーゲン・ゴルフというクルマの存在を知っていましたが、実物を見たのは初めてでした。だから伯母が遊びに来る日は、ゴルフ見たさにいつもワクワクしながら待っていたものです。

エンジンをかけるときの音が、ほかのクルマとはまったく違っていました。走っているときもエンジン自体の音がよく聞こえ、アクセルを踏むとビーンと加速しました。子供ながらに、精密な機械が動いているという印象をもったことを覚えています。小さいボディなのに、周囲のクルマよりも偉そうでした。伯母の運転がわりと男勝りだったということもありますが、走りそのものも存在感に満ちていました。カラフルな外国製のクルマをいきいきと操る伯母を誇らしく思ったものです。

しばらくして伯母は、伯父の仕事の都合で横浜から地方都市に引っ越しました。博物館の館長を務めていた伯父の影響もあり、新しい土地では積極的に文化活動などに参加をしていたようです。今まで以上にクルマでの移動が多くなり、水色のゴルフは大活躍をしていたことでしょう。

私が高校生になる頃、初めてその地方都市を訪ねました。緑豊かな住宅街の一画にある閑静な邸宅の車庫には、水色のゴルフが置かれていました。「まだ乗っているのよ」と、楽しそうに伯母。今にして思えば、軽く10万キロは走っていたはずです。横浜のディーラーからアフターサービスの引き継ぎもよかったらしく、コンディションは絶好調と喜んでいました。それでも、ときどき「ゴルフは入院中」という伯母の言葉を聞いた記憶があるので、トラブルには見舞われていたのかもしれません。しかし、その口ぶりはどこか嬉しそうで、愛情に満ちていたことが思い出されます。車庫に佇むゴルフも、少しくたびれた感じは否めませんが、どこか誇らしげで堂々と胸を張っているという印象でした。その後、伯母はゴルフ2に乗り換えましたが、どこへいくにもゴルフで出掛けていくというスタイルは不変でした。

80歳を過ぎた現在ではもう運転はしていません。身体も弱り、あまり外出はできなくなってしまったようですが、最近では昔のことばかり話をしているようです。きっとゴルフという名前が何度も出てきていることでしょう。今振り返って思うことは、伯母のライフスタイルを支えるクルマはゴルフ以外にはあり得なかっただろうな、ということです。ゴルフだからこそ伯母は年老いてからも積極的に外出しようという意志を保つことができたのだと思います。それは、ゴルフに対する信頼感や安心感がもたらすものではないでしょうか。クルマは単なる移動手段ではありません。生活のパートナーです。伯母とゴルフの関係がそのいいお手本だと思います。クルマが、人間の人生において重要なポジションを担えるなんて、とても素敵なことです。そしてそれこそが、フォルクスワーゲンらしさだと思うのです。

(Text by S.KIKUTANI)


菊谷 聡(きくたに さとし)
輸入車最大手ディーラー勤務後、CARトップ編集部副編集長を経て現在は自動車専門コンサルティング会社を経営するかたわらエディターおよびライターとして活動。また、自動車を絡めたライフスタイルを中心とした講演、自動車メーカーのセールス研修コンサルタント&インストラクター、企業オーナーのパーソナルコーチとしても活動中。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員。伝説のVWバイブル"BREEZE"誌においても、生方編集長の元寄稿をしていた経歴をもつ。

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