101008ogu001.jpg8speed.netをご覧の皆さんに悲しいお知らせです。このコラムを担当していた小倉正樹さんが他界されました。



私が小倉さんに初めてお目にかかったのは、忘れもしない1991年のことです。当時の私は新卒で入った会社を辞めてアルバイトをしながら、自動車雑誌の編集部に潜り込もうとチャンスをうかがう日々を過ごしていました。社員募集の案内を見つけては履歴書を送り、そのひとつに「ル・ボラン」もありました。

なんとか面接まで漕ぎ着け、当時ル・ボランに在籍していた小倉さんが面接官のひとりとして私を迎えてくださいました。あまりの緊張からか、面接の内容はまったく記憶にありませんが......。

残念ながらル・ボランとは縁がなかった私ですが、その後、「カーグラフィック」に入った私は、はじめてのプレスツアー(海外)で小倉さんと再会。そのとき、冗談交じりで「小倉さん、僕のこと、面接で落としたでしょう!」と話すと、小倉さんは「オレだってカーグラに落とされたんだから。ひ、ひ、ひ」といたずらっぽい笑顔を浮かべていたのをいまでも覚えています。

その後、私がフリーランスになり、フォルクスワーゲンの世界にのめり込むようになるにつれて、小倉さんとの接点が増えました。フォルクスワーゲンのワンメイクレースやサーキットトライアルの場でお目にかかったり、フォルクスワーゲンの国際試乗会をご一緒したり......。そして、8speed.netの立ち上げの際に執筆をお願いすると、快諾してくださいました。

私よりもはるかに多くの経験を重ね、知識も豊富な小倉さん。とくに、フォルクスワーゲンには熱い思いを注ぎ、サーキットを走り回ったり、新車の慣らしでさくっと京都を往復してしまうなど、そのタフさにはいつも脱帽の私。小倉さんは、数多い先輩方のなかでも、特別な存在でした。

それだけに、突然の悲しい知らせは、言い表せないような寂しさをもたらしています。私から小倉さんへは何もできませんでした。ひとりのモータージャーナリストとして、そして、フォルクスワーゲンファンとして、私にできるのは、小倉さんのクルマに対する熱意を忘れずにいることくらいです。

とりとめのない文となりました。

小倉さんのご冥福を祈ります。

8speed.net編集長
生方 聡

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