イタリアを代表するコンクール・デレガンス「コンコルソ・ヴィラ・デステ2022」が5月21〜22日に北部コモ湖畔チェルノッビオで催された。今回も50台のヒストリックカーが7クラスに分かれて参加。その中には、エピソードに富んだ2台のポルシェも含まれていた。

画像: コモで2022年5月に開催された「コンコルソ・ヴィラ・デステ」で。「ポルシェ959シュポルト」のオーナーがプレゼンターのサイモン・キッドストン(右)からインタビューを受ける。

コモで2022年5月に開催された「コンコルソ・ヴィラ・デステ」で。「ポルシェ959シュポルト」のオーナーがプレゼンターのサイモン・キッドストン(右)からインタビューを受ける。

僅か29台の959

昨2021年は10月にスペシャル・エディションとして、一般公開日を設けずに行われたヴィラ・デステは、2022年も招待者限定で開催された。イタリアでは、すでに新型コロナ関連規制の大半が解除されているが、数カ月前から準備をするイベントとしては、このようなスタイルをとるのが最適解であったのだろう。

ヴィラ・デステといえば、かつては戦前車や、量産時代前夜の戦後型欧州製ラクシュリーカーが目立った。いっぽう近年は、若い車両もエントラントとして選ばれるようになっている。今回はついに1998年日産「R390 GT1」、2004年「マセラティMC12」といったモデルまで現れた。筆者流に言わせれば“平成生まれ”が登場するようになっている。

ここに紹介する「ポルシェ959シュポルト」は、それら2台に次いで3番目に若い1989年製だ。

「スピードの壁を破って—−夢の300km/hに挑戦したクルマたち」のクラスに参加した。

959をおさらいすると、起源は1983年フランクフルト・モーターショーで公開された「グループB」に遡る。911のデザイン言語を取り入れながらも、その名のとおりグループBラリーのために新開発されたAWD車だった。959はいわばその量産型で、1986年にリリースされた。2850ccDOHC水平対向エンジンはKKK製インタークーラー付きターボチャージャー2基を備え、最高出力は450hpに達した。今回エントリーした「シュポルト」は後席を取り払い、515hpまで強化されたよりスパルタンな仕様だ。公道走行車両の最高速度としては当時最高の339km/hを誇った。

959の総生産台数は284〜292台といわれるが、シュポルトは僅か29台に過ぎない。今回参加したのはそのうちの1台で、現在ドイツのオーナーのもとにある。走行距離はたった885kmだ。近年コンクールやオークションでちょっとしたトレンドの“低走行距離物”の話題も加わったかたちである。

審査では、同じクラスにエントリーした他の5台を抑えてウィナーとなった。

秘密は「バラスト」

一旦話は飛ぶが、ヒストリックカーとともに毎年設けられるプロトタイプ&コンセプトカーのクラスには7台がエントリーした。そのうちの1台は、2021年「マルシアン」だった。ポルシェのチューナーとして名を馳せた故・ウヴェ・ゲンバラの子息マルク-フィリップが若干27歳で2021年に設立したシュトゥットガルト郊外のスタジオによるものだ。なお、同社は従来のゲンバラとは関係ないことを、再三にわたって明記している。マルシアンのベースは「992ターボS」で、イメージしたのはパリ-ダカールで活躍した往年のポルシェという。すでにアラブの砂漠でテストランも行っており、40台の限定生産を予定している。

ヒストリックカーに話を戻そう。もう1台は「レーストラックのために生まれて」と名付けられたクラスに参加した1961年ポルシェ「356Bカレラ・アバルトGTL」である。

新車当時ポルシェは、アルファ・ロメオやロータスといったライバルにレースで対抗すべく、作戦を練っていた。やがて到達したのは、同社と以前から繋がりがあったカルロ・アバルトの力を借りることだった。その結果誕生したのが同車で、鬼才フランコ・スカリオーネがデザインを担当。車体製造はトリノのカロッツェリア「ヴィアレンツォ&フィリッピーニ」および「ロッコ・モット」が手掛けた。その後、ツッフェンハウゼンで機構部分と組み合わせるファイナル・アッセンブリーが行われた。いわば華麗な伊・独合作で、20台が製作された。

今回参加した車両は、かつてスウェーデンのプライベート・ドライバーが新車で入手。国内GT選手権で2度のシリーズ優勝を果たしている。彼の秘密はフロントに追加した10kgに及ぶバラストだった。おかげで一度のアクシデントも起こさず、常に正確なトレースでコーナーを抜けることができたという。

画像: 1961年ポルシェ「356Bカレラ・アバルトGTL」。同じく「レーストラックのために生まれて」クラスに参加した1961年「アルファ・ロメオTZ1」(右)と。

1961年ポルシェ「356Bカレラ・アバルトGTL」。同じく「レーストラックのために生まれて」クラスに参加した1961年「アルファ・ロメオTZ1」(右)と。

パレードの時間がやってきた。順番待ちの間、筆者はコクピットで待機するオーナー、ロバートA.イングラム氏と彼の子息に話を聞くことができた。

——バラストとは具体的に?

「スチールプレートを重ねて前部の重量を増し、重量配分を前40 : 後60にまで近づけています」

イングラム氏は、有名なポルシェ・コレクターでもある。そのウェイトバランスを実感しますか?との質問には「ロードホールディング、スタビリティとも抜群です」と、初代オーナーが意図したものが伝わることを教えてくれた。

画像: オーナーのロバートA.イングラム氏(左)と子息(右)。

オーナーのロバートA.イングラム氏(左)と子息(右)。

やがてスタッフからゴーサインが出された。356Bカレラ・アバルトGTLはイグニッションキーをひねると、あたかも新車のようにエンジンが掛かった。機嫌を損ねて、なかなか目覚めようとしない車(ドーピングされたコンペティションカーは、さらにそうした現象が起きやすい)や、それを避けるべくひたすらエンジンを掛けている参加車が少なくない中、61年前の車両と思えぬ快調ぶりだ。

審査の結果は、こちらも見事クラスウィナーに輝いた。参考までに、クラスのサブタイトルは、「Win on Sunday, Sell on Monday日曜日に勝ち、月曜日に売ろう」だった。レースの結果が、そのまま宣伝材料に直結していた時代を象徴する、かつてよく用いられたフレーズである。

実際カルロ・アバルト自身は、レースの好成績をもとに、クルマだけでなく、マフラーに代表とされるチューニングパーツを売りまくった。イタリアでは当時給料の多くを投じ、自分の「フィアット500」ノーマル仕様にアバルト部品をせっせと装着していた、という昔話を頻繁に聞く。クルマが興奮に満ち、輝いていた時代だ。今回の356Bカレラ・アバルトも、彼らを刺激したに違いない。

ポルシェというメイクひとつとっても、それぞれの時代に、さまざまな人が携わったクルマたちがいる。だからヴィラ・デステは奥深い。

(文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=Mari OYA/Akio Lorenzo OYA)

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