170605-Oya-01c.jpg今回は、ドイツ北西部ノルトライン-ヴェストファーレン州の都市エッセンで開催されたヒストリックカーショー『テヒノクラシカ』のお話をしよう。第29回にあたる2017年版は4月5日から9日の5日間催された。 このイベントは、ドイツ主要ブランドがモーターショー並みに立派なブースを設営して、年男ならぬ年グルマのアニバーサリーを祝うのが恒例である。

今年Audiの歴史部門「Audi Tradition」は、1967年にデビューしたロータリーエンジン車「NSU Ro80」の誕生半世紀を特集した。

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ご存じの読者も多いと思うが、NSUは1969年にフォルクスワーゲン傘下に入り、のちのアウディとなるVWグループのアウトウニオンに併合されたブランドである。

Ro80は商業的観点からすると、最大の売りであったロータリーエンジンの信頼性が低く成功にいたらなかった。だが、デザイナーのクラウス・ルーテによるスタイリッシュなフォルムが当時のアウトバーンを疾走していた姿を想像すると、今なお心が躍る。実際、Ro80のデザインに感銘を受け、のちに自身の仕事に反映したカーデザイナーが日本にいたのも事実である。

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テヒノクラシカのもうひとつの主役は、さまざまなジャンルのヒストリックカー専門ショップである。今回は1250の出店者が世界30の国と地域から参加。販売に供された車は2700台に達した。そうしたなか屋外会場で見つけた珍車といえば、1974年Audi100(C1)1.8である。当時オプション設定だったオートマチック版だ。

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「WSヴィンクラー」というショップが手がけたその車両は、17インチホイール+ローダウンそしてフロントスポイラーで武装したうえ、内部もアルパインも含む大出力オーディオシステムで固めている。

quattroを全面に打ち出したスポーティーなイメージ戦略が開始される前で、1970年代のAudiは「地方官吏が乗る車」といわれていた。そうした時代のモデルにチューニングを施してしまうのは、ドイツ人の、それもある世代以上でないとわからないジョークだ。

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参加クラブ数も圧巻で、その数は200におよんだ。

Audi関連のクラブは、「7.1号」といわれる、小さなパビリオンをまるごと借り切って展開していた。モデル別のさまざまな愛好会が、それぞれ1台ずつ展示するというかたちである。

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こちらでも今年はRo80が中央に置かれていたが、それを取り巻くクラブのひとつ「タイプ81/85愛好会」には、ガンメタリックの1984年「Audi Coupe GT5E」がディスプレイされていた。

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オーナーであるフランク・ファン・トロイエン氏は1961年生まれの今年56歳。ふだんはドルトムントで建機のセールスマンをしている。

彼は21歳のとき、Audi Coupe GT5Eを購入した。しかし数年後、"若気のいたり"で、ポルシェ944に買い換えてしまった。

そのフランクさんのもとに2013年、友人から知らせが入った。懐かしいAudi Coupe GT5Eの同型車があるというものだった。

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走行距離は11万キロ。「欧州の排ガス規制強化にしたがい、そうした時代の車両は、次々と捨てられようとしていたのです」とフランクさんは語る。

30年前の青春時代を再現すべく、彼はその購入を決意した。

発見当時と足掛け2年のレストアを記録したアルバムは今、宝物だ。ドイツでオリジナル状態が維持された古典車のみに交付されるH(ヒストーリッシェ)ナンバープレートも取得した。

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何気ない面持ちでブースに集いながらも、聞いた途端フォーシルバーリングスへの情熱が口から溢れ出る。こうした街かどファンに出会えることも、テヒノクラシカの大きな喜びなのである。

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(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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