140627-Oya-01.jpgイタリア直送 大矢アキオの
かぶと虫! ビートル! マッジョリーノ!

ミッレミリアの小さな人気者


ヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」が今年も5月に開催された。今回は会期もこれまでの3日間から4日間へと長くなった。同時にコースの大幅な変更が行なわれ、あのフィレンツェがルートから落ちた。にもかかわらず、ボクが住む街シエナは従来どおり3日めのハイライトとして残された。

思えば10年前、縁あってミッレミリアにナビゲーターとして参加したことがある。クルマがオープンだったため、雨(ところにより雪)、風そして太陽が代わる代わるボクの顔を容赦なく殴りつけた。洗濯機と乾燥機の中に交互にぶち込まれているような状態が、早朝から深夜まで3日繰り返された。

そのハードさにさすがに参ったボクは「ミッレミリアはもう卒業しよう」と思い、自分の街をミッレミリアが通過するにもかかわらず、観戦から遠ざかった。

だがやがて、再び観に行くようになった。朝ローマから出発したクルマが昼過ぎシエナに次々やってくると、わが家の窓外に思わず出て行きたくなる野太いエグゾースト・ノートが響き渡るからだ。

結果として今年も、絶好の観覧ポイントである街の中心・カンポ広場と、カッシア街道沿いで通り過ぎるクルマたちを見守ることになった。

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ミッレミリア2014の参加車から。1956年ポルシェ550スパイダーのパセンジャー・シートに座っているのは往年のレーシングドライバー、ジャッキー・イクス。

ミッレミリアは、ヒストリックカー・ラリーの最高峰として世界屈指のコレクターたちが集まることで知られる。しかし実際には、参加車そのもので家からやってきて、ゴール後またそのクルマで帰る、素朴なエントラントもいる。彼らは、往年のジェントルマン・ドライバーを彷彿とさせる。

基本的に参加資格があるのは、このイベントが本格的なスピードレースだった1927〜57年度の出場車および同型車である。そのため大排気量のハイ・パフォーマンスカーが目立つ。だが面白いことに、極めてポピュラーな欧州製大衆車のいくつかも、往年にミッレミリアに果敢に挑戦した記録があることから、エントリー可能車として認められている。

1950年代前半のフォルクスワーゲン・ビートルも、実はそのひとつだ。加えてビートルは、イベントのムードを重んじる欧州のプレスによって、格好の追っかけ取材用車として使われている。

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オーストリアから来たプレスカー、1966年ビートルが、シエナのカンポ広場に差し掛かる。

ビートルがやってきたとき、イタリア人たちの会話に耳をそばだててみよう。

「おっ、マッジョリーノ(イタリア語でビートルのこと)だ! パパが小さいとき、おじいちゃんは、こいつと同じの運転してたんだぞ」などと、お父さんが子供に自慢していたりする。

ミッレミリアで、もっとも親しみをもって応援できるクルマの1台、それがビートルなのである。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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